桜島に似ているというベスビオ火山,その麓に位置し鹿児島市と姉妹都市であるナポリ,ナポリ近郊の地中に埋もれたポンペイのことを知らない人はいない。
近年発掘され再び姿を現した古代都市ポンペイを遺跡として想像はしていたが,今回,実際に目の当たりにして,2000年前の都市の生活があまりにもリアルに,残されていることに驚いた。
道路は敷石で舗装され,両側には歩道が整備されている。道路に並行して水道管も敷設されていた。ワインを酌み交わす居酒屋のカウンター,そこにはサイコロがいくつか残され,中には鉛を詰めたものまであったという。粉挽き臼と釜が残ったパン屋,街角の水汲み場,上下水道も整備されており,商人向けの複数の娼婦館
(娼婦館に残された壁画),公衆浴場,ホテル,ローマ人の別荘か支配階級の豪邸,食物市場,レストラン,………。とても2000年前のこととは思えない。
皮肉にも火山灰が乾燥剤の役割を果たし,焼いたままのパンや、テーブルに並べられたままの食事と食器,コイン,壁の落書き,壁画など当時の文化がそのまま保存され,当時の生活を生々しく今に伝える事となった。
ポンペイは,紀元前7世紀には集落が形成され,都市間の勢力争いの後ローマの植民都市となり,その後はローマと地中海の海路をつなぐ重要な商業都市として発展していたらしい。
西暦62年の激しい地震に続いて,79年,突然ベスビオ火山が大噴火し、一昼夜に渡って火山灰が降り続け、翌日にはひとつの都市が完全に火山灰に埋もれてしまい,しばらくは町があると言うことは知られていたが歴史上から消え去った。
時が経ち,1599年イタリア人の建築家が一部遺跡を見つけたが,その150年後の1748年に再発見され発掘が始まった。人口約2万人が住んでいた一つの町が,屋根は木材で出来ていたため焼失しているものの石造りの家屋群がそのまま現れ,発掘は今も続いている。