アラセブンのツーリング日記


いざ出発 ▽ 梅雨明け日出発/初日(鹿児島→宮崎)

 降り続いた梅雨空が幾分明るくなった6月28日午後、燃料を満タンにし、ツーリングバッグを後部座席に固定、トリップメーターを0にセット、宮崎カーフェリーの乗船予約を済ませ、「楽しんできて」という奥さんの“理解ある言葉”に見送られ出発した。
 一路国道10号線を宮崎へ向かい、宮崎の手前の道の駅「高岡」でしばらく休憩した後、4時半フェリーターミナルに着いた。
 この日、雨上がりの強い日差しが照りつけ、南九州は例年になく早い「梅雨明け」となったことを船内のTVで知った。

バイクは1台  乗船は夕方6時から、6月末の平日とあって、バイク車線に並んだバイクは1台のみと寂しい限り。平日にヒマのあるのは、定年過ぎたシニアぐらいなものか。
 一回分の着替えを詰めたデイバッグのみを船室に持ち込み、他の荷物はバイクに積んだまま。乗船してすぐに風呂で汗を流した後、レストランのバイキングとビールで夕食を済ませ、体力温存?のため早めに寝る。
(本日の走行距離 122km)

▽ ムカデ事件発生/2日目(大坂→敦賀)

 6時15分、船内アナウンスで目覚めた。
 身支度をして、朝食をとっているうちにフェリーは予定より15分早く7時15分には大坂南港フェリーターミナルに着岸。
 バイクは、徒歩の旅客とマイカーが下船した後、3Fのロビーから1Fのバイクの所へ降りることができる。降りるとバイクの固定ロープは既に外してあり、素早く支度をして係員の指示に従って下船。

 大坂の空はからりと晴れており、暑くなりそうな気配。
 先ずは不慣れな大坂市街地を抜けて目的の一つ伯父の墓参のため、ナビを豊中の近くの霊園にセットしてスタート。
 生前何かと気遣って頂いた伯父上に鹿児島から持ってきた焼酎と花を手向け、北海道行きを報告。

 ここからは、豊中ICから名神高速に乗り「京都東」で降りて、時間は十分あるので急がず下道の湖西道路(161号線)を琵琶湖伝いに北上、日射がかなり強かったので途中の道の駅で休憩して時間をとったが、3時にはフェリー発着の敦賀新港についた。
 出港は深夜1時、今から10時間後である。

 日差しが強く暑かったので、フェリー駐車場の片隅の木陰に駐めて一休みしていると、係の人からトレーラーが入ってきて危ないから移動してくれと追い出されてしまった。
 さて、どうやって時間をつぶすか、取り敢えず敦賀市内に行くと、市民文化センターの隣に小さな公園があり、木陰の下にベンチがあったのでバイクを駐め、夕食時までベンチで昼寝をすることにした。

 ウツラウツラしていたとき事件発生! 足下に置いたヘルを何気なく見てギクリ、20センチほどのムカデ(百足)がヘルの内側に入り込もうとしている。
ヤバ!周りを見回し小枝を拾って枝先で追い出そうとすると、逆に中に入り込んで見えなくなった。これは一大事、走行中に頭を囓られたらたまったものではない。
ヘルにムカデ
 焦る。困った。ここで北海道を断念か。別にヘルを買うか、買いに走るにも被らなければならない。退治する薬をと思ったが辺りに薬局は見当たらない。
 思いあまってJAFにSOSしてみた。しかし、車両の故障でない事態には対応できないと冷たい返事。次に直ぐ近くの市民文化センターの事務室にSOS、館長さんが「殺虫剤はないが、これはどうだろう」と消臭剤のスプレーを貸してくれた。追い出すことぐらいできるかもとワラにもすがる気持ちで借り受け、バイクの近くに置いたヘルのところに戻って吹き付けてみる。出てくる気配なし。

 今度は公園の道路向かいの海運会社の事務室に、殺虫剤は置いてないか聞いてみるもなし。次に、この会社の隣の料理屋さんで車を洗っていたお兄さんにダメ元で殺虫剤を置いていないか聞いてみる。「ちょっと待って」と、奥に引っ込んで、これでどうかと強力スプレー殺虫剤を持ってきた。ありがたい。

 既に内装のスポンジ部分は取り外し、出てきたら直ぐわかるようにしていた。二重になった帽体の狭いところに潜んでいるはず、お借りしたスプレー殺虫剤を内側外側のベンチレーションの通気口から噴射。ムカデは出てはこないが、ヘルの内側は噴霧が充満し、お兄さんは「もう生きていないだろう」という。
 これ以上の措置は望めず、そうこうしているうちに夕方になり、刺されたらそのときのことだと覚悟を決め、バンダナの上からこのヘルを被り、夕食と給油のため、市内へ移動。
 駅前で第1回目の給油と夕食を済ませ、そこで聞いた薬局に行って、ムカデ専用の防虫スプレーを購入、駐輪場でヘルに液がしたたるほど、たっぷりスプレーした。

 これが効いたのかどうか分からない。不安を抱えつつ、このヘルで北海道へ向かうことになった。
 北海道をツーリング中、頭が部分的にむず痒くなると、もしか・・と不安を覚えたが、ヘルの中でミイラになったか、敦賀でヘルを地面に置いたままにしたとき抜け出したのか、不明なままムカデ毒の洗礼は受けずに済んだ。

 8時、暗くなったフェリー乗り場に戻り、2Fの待合室で仮眠。今日は日射とムカデに疲れた。
0時半、乗船が始まり12,3台のバイクの先頭に乗船、車両甲板にはトレーラーの後部荷台が満杯積み込まれていた。深夜風呂に入る元気はなく缶ビールを飲んでゴロン。
(本日の走行距離 204km)

▽ 上陸日に野宿?/3日目(敦賀→苫小牧)

 7時目覚める。今日は一日中高速フェリーで日本海を北上。
 9時、朝風呂に浸かる。浴室から見る外は快晴、日本海の海原がどこまでも広がっている。モーニングセット+ミルクの朝食を済ませ、2泊分の着替えをコインランドリーで洗濯。

フェリーのプロムナード  ビンゴゲームに加わったり、オープンデッキで海原を眺めたり、ベッドでごろごろしたりしているうちに、夕方の6時北海道の松前半島が見えますと言うアナウンスに眺めに行くと、北の空は曇っており、その向こうに陸地がかすんで見えた。やはり陸地が見えるとうれしい。

 敦賀を出る前に電話した苫小牧の予定の宿は「電話が使われておりません」と繋がらず、入港して携帯が繋がるようになったら、先ず宿を確保しなければならない。
8時半「苫小牧東港」に入港。
 先ずは今夜の宿を探さねばならない。到着が夜ということと苫小牧東港から苫小牧市までは20数キロと遠いので東港に近い「勇払」での宿泊を考えていたので、勇払のホテル・旅館5軒にTELするも、いずれも満室だという、困った。
 宿が決まらないうちにバイクの下船案内があり、車両甲板に行き荷物を梱包して、ついに念願の北海道に上陸

 フェリーターミナル周辺は暗く、右も左もわからない。取り敢えず勇払近辺の宿はあきらめて他のバイクグループの後について苫小牧市とおぼしき方向へ走る。
 30km近く走ったところで街灯で明るい街中に入った。取り敢えず駅前に行けばビジネスぐらいあるだろうとナビを苫小牧駅に設定、駅に近づくと、あった。目の前にHルートインがあり、その前に先行のバイク3台がいるが満室だったのか去ろうとしている。
 周りを見ると近くに東横インがあった。とにかく当たってみなければとフロントに聞きに行くとシングル空き室ありとのこと、ふう良かった。第1日目から野宿せずに済んだ。
 荷物を全部部屋に運んで、明日からのツーリングに備えて再チェック。
 北海道限定缶ビール「サッポロクラシック」を飲んで、11時就寝。
(本日の走行距離 28.4km)

▽ 高速“ロング”ワインディングロード/4日目(苫小牧→富良野→羽幌)

 ふと目覚めて時計を見ると早朝4時半、外はすでに明るい。
早めの出発、早めの到着を目標にしていたので、朝シャワーをして今日のルートを再確認し6時半の朝食を待った。

ジャガイモ畑 7時、北海道ツーリングいよいよスタート。
 曇り空ながら、この先何があるか期待に胸が高鳴る。初日は、苫小牧から北海道の中央部を富良野、旭川、士別まで縦断し、士別から日本海側に出た所で1泊する予定である。

 苫小牧から太平洋岸を東へ約50km道幅は1車線だが信号や交差点がほとんどない快適区間を走り、次に内陸へ向かい、道央の「日高」を経由、富良野を目指して北上。この辺りはどこまでも畑地が広がり、ジャガイモ畑の白い花、淡いピンクの花、青々とした飼料作物が連なっている。所々乾燥牛糞の匂いが漂い、のどかな田園地帯をどこまでも平坦に道路が伸び、行き交う車も少なく快適にクルージング。

 日高峠を抜け、「占冠(simukapp)」の道の駅でしばし休憩、すでに今日125kmを走っているが、まだ10時にもなっていない。
 十勝平野を一望できるという「狩勝峠」にも行きたかったが、往復30kmほど横道にそれるので断念。先は遠いのだ。
 富良野駅の近くで道路脇に停止、止まると暑い。ここに来て空は快晴、夏の日照りが照りつける。ガイドブックを広げ「ファーム富田」のおおよその位置を確認すると、もう少し先の中富良野町だった。
ファーム富田  11時、直射日光が強い。ファーム富田は自家用車や観光バスが続々と詰めかけ、かなり賑わっていた。
係員の指示でファーム入り口近くにバイクを止め、カメラを持って中に入る。中は目前にパッと色鮮やかな花園が広がっている。手前の花園の先にも花園が拡がっている。団体や家族連れの観光客が花園の中の小道を歩いて観賞している。
 入場する前、客待ちのタクシーの運転手に教えて貰った一番奥にあるというラベンダー畑に真っ直ぐ向かう。
 ふむ、これがラベンダーか!緑の茎に紫の可憐な花をつけたラベンダーが広い畑一面を紫に染めている。
 大勢のにわかカメラマンに混じってパチリ、数枚写真を撮る。
 ラベンダー畑が「北海道」に来たことを、さらに実感させた。

 ファーム富田から旭川へ向かう途中、山口ナンバーのバイクとしばらく併走したのに続き、サイドカー2台のグループ、4,5人のツーリンググループと行き交い、初めてのピースを交わす。俺たちが若い頃は、どこでもピースサインを交わしていたものだが・・。

 道の駅「あさひかわ」で今夜の宿を「羽幌」の民宿に予約、昼食を済ませ、旭川から道央自動車道に乗って一路北上。2時45分道央道の終点「士別」を降りる。士別の料金所には「日本最北の料金所」と書いてあった。苫小牧から約220km。

 給油は早めに士別の町で給油。239号線を日本海側の「苫前」へ向かう。
 239号線は、ガイドブックにもあるように”交通量ほとんどなし、G/S・民家なし”の状態、霧立峠から先は「霧立国道」となり、なだらかなカーブの続く”高速ロングワンディングロード”バイク乗りには楽しい区間だ。緩やかなカーブを右に左にバンクさせながら快適走行。ただ、陽が落ち、雲が掛かってきて風が冷たくなってきた。羽幌はまだ遠い。

 夕方5時ちょうど、羽幌の予約した民宿に着いた。夕食はできないと断られていたので、荷物を下ろし近くの定食屋さんに夕食に行く。羽幌からは天売・焼尻島へフェリーが通っており、苫前より宿泊施設が多かったので、羽幌に泊まることにしたが、何となく活気がない。それは泊まった民宿のせいもあるかもしれない、ネットで調べてリストアップした民宿のトップにあげて予約電話もすぐに通じたので即予約したが、しばらく客が来た形跡のない、干し魚の匂いのする部屋であった。トイレも旧式、洗面所も近頃は見かけないステンレス横長の共同式である。民宿と言えば民宿らしい。
昔を知っているアラセブンにとっては苦にならないが、これでは若者は敬遠するだろう。
 それでも、夕食から帰ると風呂が沸かしてあり、ゆっくり北海道第1日目の走行の疲れを癒やすことができた。
(本日の走行距離 394.0km)

▽ ついに来た最北端の地/第5日目(羽幌→宗谷岬→音威子府)

 6時目覚めて外を見てがっくり、路面が濡れ小雨が降っている。雨のはずではなかったのに。
 TV(期限間もないアナログだった)をつけると、幸い降水予測10%となっており、ほっとする。朝食は期待していなかったが目玉焼き2個に焼き魚、納豆、貝柱の佃煮など食べきれないほど、ワカメの味噌汁もおいしかった。 
 8時、雨はやみ、雨ざらしにしてしまった愛車の水滴を拭き取り、これから向かう最北端を考えオーバーズボンを着用、防寒用のトレーナーもすぐ取り出せるように準備、2日目の北海道ツーリングを開始。天候曇り、やや肌寒い。走り始めて直ぐにトレーナーの上着も着用した。

快適オロロンライン  ほぼ直線的な海沿いのオロロンライン(天売国道)を一路北上。
前からも後ろからもほとんど車は現れない。
もったいないような、うれしいような高速クルージングである。
所々、赤やピンク、黄色の野の花が群生している。
 60kmほど走り「天塩」から海沿いを離れて一旦内陸の「豊富」を目指す、豊富からサロベツ原生花園を横切るためだ。
サロベツ原生花園  サロベツ原生花園は、この時期エゾカンゾウの黄色い花がちょうど見頃を迎え、道路の両側どこまでも黄色が広がっている。
木道を歩く時間的な余裕はなかったが、原野の真ん中当たりでしばらく駐まり、原生の花園を十分に堪能した。 この時期にここに来て良かった。

 再び海岸線へと戻り“道には電柱やガードレールも無い、原野の中を延びてい“ライダー憧れの道”とガイドブックに記されている道(106号線)をひたすら北上。
 左側は穏やかな日本海、右は原野、時折小さな虫がヘルメットにぶつかってくる。チョウチョが行く手をヒラヒラ。他に車はなくほとんど一人旅。

ノシャップ岬  11時、稚内のノシャップ岬に到着、観光客は少なかったがツーリングと分かるバイクが数台駐まっていた。展望所から見る日本海は、どんより厚い雲に覆われている。
 小休止の後、次の目標「宗谷岬」をめざし再び走り出す。稚内の街中を抜け宗谷湾沿いにしばらく走り、岬に近づいたところで海沿いを離れ丘陵ルートへ、このルートを行くと“宗谷岬の背後から海に向かって素晴らしいパノラマ景観を見ることができる・・”と、何かで読んだ。

 期待して駆け上がった丘陵の上は、車1台通らず、期待に反し雲が低く立ちこめ、辺りは乳白色の霧で景色どころか道の前方もかき消されている。
 牧場の牛さんたちが胡散臭さそうにこっちを見ている。一抹の不安を覚えながらも一本道を進む。宗谷岬を過ぎてオホーツク海側に突き出てしまったのではないかと思うぐらい長く感じた丘陵を抜けたところでやっと道は下りになり、霧の中を抜け出して視界が開けてきた。
 海岸線に突き当たったT字路を左折して宗谷岬へ向かっていると、倉庫風の建物の前を茶色い、しっぽがフサフサした、間違いなくキタキツネが歩いている。カメラ!と思ったが、直ぐに建物の陰に入って見えなくなった。こんな人の居住地付近にいるとは思ってもいなかったが、確かにキタキツネだった。

最北端の地、宗谷岬  12時過ぎ、「宗谷岬」は大勢の観光客で賑わっていた。韓国語も飛び交っている。
日本最北端の地」と書かれた三角形のモニュメントの前で団体客が入れ替わり立ち替わり記念写真を撮り、なかなか一人では入り込めない。バイクは少なく4,5台。
 南の端から北の端に来た。
 水平線は雲が掛かってはっきりせずサハリンを見ることはできなかった。だが北海道に来た目的の一つを達成できた。
 最北端のG/Sで給油、北端給油の証明書と貝殻で手作りの「交通安全お守り」をもらう。

 宗谷岬を後に、「オホーツクライン(238号線)」を海沿いに今度は東側へ向かって行くと10分も走らないうちに、行く手が黒雲で暗くなり、濃霧が立ちこめてきた。
 視界が50mほどに落ちて、ヘルメットから濃霧の水滴がしたたり落ち、気温も低い。
 雨かなと覚悟しつつも、ジャケットもオーバーパンツも小雨程度であれば凌げるので、そのまま走行。北端の地は冬も夏もこんな鈍より天気ではないだろうかと勝手に想像する。

 「浜頓別」に近づくにつれ幾分明るくなり、浜頓別から右折しオホーツクラインを離れて内陸部へ入ると、打って変わって快晴になった。今日の泊まりは内陸部の「音威子府(otoineppu)」の天塩川温泉。オホーツク海を離れると温度も急に上昇し暑い、ここで寒さ対策の厚着を脱ぎ、ジャケットの下はTシャツに。
 林の間を抜けるルートの所々に「鹿飛び出し注意!」の看板が掲げてある。

 4時半、早い時刻に「音威子府」の町中を抜けてしばらく走った先の天塩川温泉に着いた。
 この施設は、天塩川の川沿いにあり、公的な保養施設で露天風呂、レストラン、コインランドリーを備えている。この時期に拘わらず、仕事関係か結構宿泊客がいた。
 時間が早かったので、着替えの洗濯をし、温泉にゆっくり浸かった。
 夕食は、天塩川の鮎の塩焼き、エビと野菜の天ぷらに卓上ミニコンロの焼き肉まであり、冷酒とともに美味しく平らげて満足。
(本日の走行距離 335.0km)
▽ 移動日/第6日目(音威子府→網走)

 北海道の朝は早い、5時に起床。温泉の朝風呂に浸かる。
 8時20分天塩川温泉を後にした。天気快晴、暑くなりそう。今日は内陸からオホーツク海に出て網走までの予定。

 さして気温が上がらない午前中、気分良く南下、9時前には「名寄」を通過し、10時過ぎにはオホーツク海に面した「興部(okoppe)」に着いた。

 海沿いになると風が冷たい。オホーツク海沿いに一路網走を目指す。
 途中、岡崎ナンバーのBMWと同行になったが、彼は紋別を過ぎた辺りで左折していった。走りながら、どこへ行ったのかなと考えて思い出した。紋別にはオホーツク流氷科学センターがあり、カニのハサミの大きなモニュメントがあるのだ。これは是非写真に納めてこようと思っていたが、かなり過ぎ去っていたので、まっ良いかとそのまま先へ。
 網走は遠いイメージがあったが案外に近かった。渋滞もなければ車に行く手を遮られることもない、混み合う九州とは違う北海道ならではの所要時間と言うことだろう。

サロマ湖  サロマ湖湖畔を走り、時間があったのでキムアネップ岬まで行って、午後1時には網走に着いた。

 さて、今日の泊まりをどうするか、まだ決めていない。
 民宿のリストをいくつか持っていたが、どうも明日は雨になりそう、バイクを雨ざらしにするのは忍びない、屋根のある駐車場に駐めたい。そこで網走駅前にある幾つかのビジネス風ホテルのうち、駐車場が屋内になっていて苫小牧でもお世話になった東横インに泊まることにした。TELするとシングルOKだった。

 そのままチェックインするには早かったので、ガイドブックにある少数北方民族の資料館「ジャッカドフニ」を探すも見つからず、「オホーツク流氷館」に行くことにした。
 南国育ちとしてはハイビジョンシアターも興味深かったが、2Fの保存流氷が手で触れても乾燥しているように水気がなく湿らないことが意外だった。水槽で泳ぐクリオネが可愛いかった。

 早めにホテルにチェックイン、部屋にブロードバンドのラインがあったので、持参したモバイルPCで天候をチェック。明日は一日中雨だ、明後日は上がりそうだった。
 雨天対策は準備しているが、次は屈斜路湖・摩周湖を回るつもりだ。雨の中を見て回っても仕方無い。急ぐ旅でもないので網走で1日休息することにする。
(本日の走行距離 291.5km)

▽ 雨天休息日/第7日目(網走)

 案の定、目覚めたら小雨、TVをつけると富良野の近くの「新得町」というところでヒグマが特急と衝突したとのニュースが流れていた。道内には結構頭数が多いのかなあ。

 朝食の後、ホテルの傘を借りて、バスにて「博物館網走監獄」と「北方民族博物館」を見に行く。雨は次第に本降りとなった。
 博物館網走の正門には、右に看守、左にはなぜか三重県生まれで各地の監獄を何回も脱獄し、ついには終身刑として網走に送られ、網走では模範囚だったという「五寸釘寅吉」の等身大の人形が入場者を迎えていた。
手錠、足かせ  極寒の地で、ロシアからの脅威に対応するための道路新設に、囚人がかり出され、過酷な生活を強いられた歴史が語られている。監獄に塀はなく、作業中に逃亡しても周辺に人家も食べるものもなく熊もうろついているので、数日後には監獄に戻ってきたという。囚人を働かせる看守も大変だったようだ。
実物大のマンモス  一方の道立北方民族博物館は、エントランスルームに実物大の巨大マンモスの復元像と長さ1.5mという本物の牙が展示されていた。北海道の先住民族の博物館かと思って興味があったが、北米やシベリアなど海外の北方民族の民具も一緒に展示してあり、やや分かりにくかった。ただ高齢者は入場料無料というのは良かった(?)。
 昼前後雨は激しくなった。
(本日の走行距離 0km)

▽ 摩周ブルー/第8日目(網走→摩周湖→ウトロ)

 早朝4時、既に明るい。青空が拡がっている。ちなみにこの日札幌の日の出は04:01、鹿児島は05:18。

 夕方雨の恐れもあり、素早く出発の準備をし、ホテルの朝食をパスして、5時10分にはホテルを後にした。
 今日の予定は、網走から南下して「美幌峠」を通り「屈斜路湖」と「摩周湖」「神の子池」を経由して知床半島のウトロへ向かう。

 昨日の雨が嘘のように快晴、早朝のツーリングはまた一段と気分が良い。
ほとんど人も車もいない早朝の243号線を快適に走り、6時40分には屈斜路湖を含め360度四方を見渡せる「美幌峠」に着いた。朝の早いライダーが2人既に駐車場にバイクを駐めていた。
 カメラを手に小高い展望台まで階段を上がる。
 眼下の「屈斜路湖」は深い青緑の湖面に朝日がきらきら反射し、後方には原野の遙か向こうに阿寒岳が霞んで見える。朝の空気が心地よい。しばらく素晴らしい景観に浸る。

キタキツネ  美幌峠から屈斜路湖の湖畔へ下り、湖岸を約半周。この辺りは朝方雨だったのか、路面が濡れている。途中、2回目のキタキツネ君に遭遇、今回は気づいた時点で停止、カメラを取り出して急いでパチリ。道路を横切るつもりだったのか、歩道に立ち止まって道路の向い側を見ていたが、そのうち気が変わったのかくるりと林の中へ戻っていった。
 屈斜路湖の湖岸を離れ「川湯」という温泉ホテル街を抜け、やや登りのルートを摩周湖へ向かう。この途中でも道路の右側を散歩?しているキタキツネを見た。

 そして、ついに来た「摩周湖」を見下ろす第三展望台。
 摩周湖は、晴天の下、神秘的な摩周ブルーの湖面が朝日に映えて例えようもなく美しい。
 どちらかと言えば摩周湖は霧のイメージが強い。鹿児島を出るときは霧のある摩周湖の写真をと考えていたが、こんなにも素晴らしい摩周ブルーを見ることができるとは思ってもいなかった。

 いつまでも浸っていたかったが、湖沿いを先に行くと、こんどは広い駐車場の第一展望台が現れた。こちらは人も車も多い。
 再びブルーの摩周湖の雰囲気に浸った後、約7,000年前に火山噴火でできたという摩周湖の標高600mの外輪を下り、摩周温泉からぐるっと「中標津(nakashibetsu)」へ遠回りしてウラ摩周展望台へ向かう。

裏摩周  裏摩周に行くには他に道はない。この間約54kmを大回り。
 行き過ぎたのではないかと案じつつも1時間近く遠回りして、裏摩周へ通じる「清里峠」を左折、「裏摩周展望台」に行き着いた。
 まだ10時前の早い時間帯だったが、関西弁の団体客が来ていた。
 青空の下、空気は澄み渡り山々の緑は鮮やか、静寂の湖面は、摩周ブルーの深い色を湛え何とも形容しがたい景色が目の前にあった。
 摩周湖でも、こんな素晴らしい瞬間は滅多に見られないのではないかと思える今、導いてくれた家族、友人、神様に思わず感謝!!

 裏摩周でも素晴らしい自然に浸った後、裏摩周展望台から約10kmとさして遠くない「神の子池」へ向かった。
 神の子池は、摩周湖斜里線(1115号線)から約2kmほど砂利道を入った先にあった。北海道に来て初めてのダート、所々穴ぼこがあり避けきれずドンとショックアブソーバに衝撃をうける。
 神の子池はまさしく透明で写真で見た景色と変わらない、池の倒木はいつまでも腐食しないそうだが、除いた方が良いような気もするが・・。周囲の林は濃い緑で神秘的な雰囲気があった。

 11時、清里町の「パパスランドさっつる」という道の駅にて朝食を兼ねた昼食をとり、リストのトップにあったウトロの民宿に予約を入れた。
 ここで一つ失敗をしてしまった。電池の消耗を押さえるため休憩中GPSロガーのスイッチをオフにして、出発の時オンにするのを忘れてしまった。このため、この道の駅からウトロの民宿まではログが途切れている。
 ここからウトロまでは近い、早めに行って知床観光船に乗ろう。最終便の出港は4時半となっており充分間に合う。
 斜里の「知床博物館」も見てみたいと思っていたがパス。斜里の町を過ぎると、再びオホーツク海沿いの知床国道(334号線)になった。快晴のオホーツク海はキラキラしている。

 「ウトロ」の町に入る前に、道路沿いに「オシンコシンの滝」があった。屋久島の「千尋の滝」と似たような感じで広い1枚岩の上を豊富な水量の滝が流れ落ちている。
思ったより早く1時半には目的の民宿に着いた。荷物を部屋に揚げさせてもらい、2時半出港の「知床観光船」へ乗るため、歩いて10数分ほどの港へ徒歩で向かう。

 港の近くでは土産物屋さんが並び、どの店も観光船切符売り場と案内がある、観光船がいくつもあるらしい。目指す観光船おーろら号の切符売り場は一番奥にあった。
硫黄山  2時半出港。船内は団体観光客で溢れていた。小型の高速観光船が数名の客を乗せて追い抜いていく。船は知床半島に沿ってゆっくりと進む。風が冷たくデッキにいると半袖では寒い。知床半島は雲に覆われていたが、この日「羅臼岳」の山頂は頭を出していた。年間を通し羅臼岳の山頂が見える日も珍しいという。
 船から見る知床半島は熊笹と原始林に覆われている。運が良ければヒグマを見ることができると説明にあったが、いたとしても見つかりそうな景色ではない。
 船はオホーツクの荒波に浸食された奇岩に沿って進み、知床五湖(と言っても見える訳ではない)を過ぎ、硫黄山を遠望し、カムイワッカ湯の滝を見てUターン。約1時間半のクルージング。

 帰港して民宿に帰る前に道の駅「うとろシリエトク」に立ち寄り、海産物のセットと土産物いくつかを留守宅に送る。
 一風呂浴びて3Fの部屋から夕方のオホーツク海を見ると、晴天だった空に雲が広がり水平線も定かでない。天気は下り坂か。
 夕食は、取れたてのタコのお刺身、イクラに始まって魚の焼き物、煮物、天ぷら盛り合わせなど盛りだくさんで美味しかった。食べ過ぎて苦しいほど。
 1人旅らしい若い女性、同じ職場らしい3グループと一緒で、一つのグループは山中で仕事をしているらしい熊に遭遇して写真を撮った話で盛り上がっていた。
(本日の走行距離 255.4km)

▽ 濃霧の知床峠/第9日目(ウトロ→知床峠→釧路)

 朝4時目覚める。窓の外が朝焼けでオレンジ色をしている。朝焼けは雨の前兆と昔から決まっている。
 昨夜、民宿のお兄ちゃんが「夜降って、朝はあがる」と言っていたが・・・、5時近く小雨が降り出した。バイクはカバーを掛けてある。今日の降水予報は50%、昨日のように良い日は長く続かない。

 朝食を済ませ、しばらく様子を見ていたが小雨が降ったり止んだり、雨仕度を整え8時半に民宿のお兄ちゃんに見送られて出発。今日の予定は、知床五湖を見て知床峠を羅臼へ越え、根室の納沙布岬まで走る予定。

 「知床五湖」は、ウトロから半島横断道路に入ってすぐ、案内標識に従って左折、ダートかもと思っていたが、道幅も広い快適な舗装のワインディング・ロード、雨は止んでいるが垂れ込めた雲が地面まで覆っている。途中、車が止まっているので見ると、熊笹の中でエゾシカの親子が逃げるでもなく草の食事中だった。エゾシカはこの後も数カ所で散見した。
エゾシカ  知床五湖の駐車場には既に多くの自家用車とバスが来ていた。バイクを指示された片隅に駐め、熊笹の上を通る木道をしばらく歩くと展望台があり、霧の中に「第一湖」が見えた。
 霧は風で晴れたり、濃くなったりを繰り返し、「第一湖」も霞んだり見えたり変化した。
 五湖全てを巡ると1時間近く掛かるとのことで第一湖だけで引き返した。

 半島横断道に戻り、「知床峠」を目指すも、高度が上がるに従って知床半島を覆う霧はますます濃くなり、前方視界が次第に狭まっていく。峠に近づく頃は視界10mほどの濃霧になった。ヘルメットから水滴がしたたり落ちる。
 9時半頃、霧の中不意に右側に広場が現れ、車が2台駐車している。
知床峠  入ってみると、ここが「知床峠」の駐車場だった。危うく見逃すところだった。
 見晴らしの良いはずの知床峠を楽しむことも今回の目的の一つだったが、万事うまくいくとは限らない。濃霧の写真を撮り早々に別れを告げた。

 羅臼までの下り坂は、濃霧の上、これまでに無い急なカーブの連続でヘヤピンも何カ所かあった。
 ギアをセカンドやローに落として、いくつものカーブを乗り切り、かなり長い時間(と思えた)坂を下り、やっと平坦でカーブが緩やかになった頃、空は明るくなり山頂を覆っていた霧から逃れることができた。
 このとき、坂を上ってくる2人組のバイクとすれ違った。「上はすごい霧だぞ」と言う間もなく2人組は去っていった。

 10時20分、海が見え「羅臼(rausu)」の町に着いた。
 何と知床峠の濃霧と打って変わり青空、快晴! 空も海も青々と気持ちよく、そして暑い。
 海沿いの道端にバイクを駐め、先ずは雨装備を解き身軽に。
 羅臼から知床半島の東側先端の行けるところ(相泊温泉)まで行こうと思っていたが、知床五湖まで行ったので今回はパス。代わりに標津(sibetu)から内陸側に入り牧場群と直線道路のミルクロードを走ることにした。

 羅臼から標津までは海沿いを、左に国後島を見ながら走る。国後島はこちらから見ても大きな島だ、かつ近い。
 日ソ中立条約を破棄し、日本がギブアップした直後に攻め入るという不法占拠で奪い取られ、力関係で泣き寝入りを余儀なくされている。「日露戦争を覚えているか、もう一回やっつけるぞ」と言えないところが悔しい。

 標津から「ミルクロード(272号線)」を海沿いから内陸へ快適に走り、中標津(nakasibetu)へ、中標津は昨日ウラ摩周に行くとき同じ町内を走っている。
 ミルクロードは中標津の町中を迂回し、再び牧場地帯を真っ直ぐに伸びている。
ミルクロード  昼飯時だったが中標津を通過してしまったため、その先は行けども行けども牧場と飼料畑の連続、お腹がすいたが人家さえ現れない、ポカリでのどを潤し走り続ける。
 ミルクロードはほぼ直線、カーブがあってもその先は直線、かつ交通量はきわめて少なくほとんど一人旅、ツーリングガイドにあるのでバイクの数台とすれ違うのではと期待していたが全くなし。
 ミルクロードは真っ直ぐ釧路方向へ向かっているが、納沙布岬へ行くため途中で左折して、「パイロット国道(243号線)」に乗る。またしても前方はどこまでも直線のこの道を、時折片足ずつ屈伸運動をしながら走り続け、午後1時過ぎ、「別海」という町に来てやっとコンビニを見つけた。標津から根室へ行くのに三角形の2辺を走ったことになる。

 別海から根室までも順調に走った。今日は根室に泊まる予定で民宿をリストアップしてある。根室から納沙布岬までは23km。道路標識に従って交通量の多い根室市内を抜け、こんどは右に太平洋を望みつつ半島の先端に向かう。思ったよりも遠い、先端に近づくにつれ気温が下がり、風が冷たくなってきた。
納沙布岬  2時50分、「納沙布岬」に到着、歯舞諸島は国後島よりも近いところにあった。
北方館を見学。
 BMWの先客が2人おり、一人に写真を撮ってもらい話すと今日は釧路泊まりだという。
 3時間余かかっても夕方7時には行き着く。そうか釧路までは行けるな。
 迷ったが、近づきつつある雨日(明後日から雨、しかも長引きそうだった)を考えて、予定を変更「今日根室、明日足寄泊→明後日旭川」を「今日釧路泊→明日旭川」とし、当初予定の阿寒湖は今回パスし、1日短縮することに決めた。
 釧路の宿は考えていなかったので、またも東横インを予約。できれば明るいうちに着きたい。
根室のG/Sで聞くと「2時間で行きますよ」という。

 夕方6時、釧路の東横インに到着し駐車場に入れるとき後ろに2台のハーレーがついて来た。
 屋根下に寄せて駐輪していたら「鹿児島の方が俺たちより遠いな」と一人が話しかけてきた。
何と隣県長崎から来たシニアだった。ほぼ同じルートを辿り、明日は苫小牧まで行き、雨にならないうちに帰るという。
 こっちは、後半、旭川と札幌の友人に挨拶する予定がまだ残っている。
 この夜、カンボジアを一緒に走り、スポーツスターの楽しさを教えてくれた旭川のMさんに「北海道に来ている」と連絡した。
(本日の走行距離 402.7km)

▽ 三国峠のルピナス/第10日目(釧路→帯広→旭川)

 6時半、ホテルのおにぎり朝食を済ませ、7時半先ずは帯広めざし出発。
 天気晴れ、釧路市内で「愛国駅」の案内標識を見つけ辿って見るも見つからず、あきらめて帯広へ。
 太平洋岸から内陸に入ると、これまでになくアップダウンの山道と、珍しくトンネルがあり、十勝川を横切ると再び直線道路になった。
 スタート時は風が冷たかったが、帯広に近づくにつれ暖かくなってきた。途中、訓練日なのか同じ方向へ向かう陸上自衛隊の車列と何組も行き交った。
ルピナス  10時、帯広通過。休まず北海道の真ん中を縦に走る糠平国道(273号線)をひたすら北上、旭川へ向かう。
 糠平湖を過ぎ、しばらくして道路はなだらかな上り坂になってきた。時折、道路の両側に赤や紫のルピナスの花が目につく。何カ所か写真に納め先へ進むと、登りの勾配がギアを落とすほどになり、行く手に巨大なカーブのある陸橋が現れ、道路は樹海の上を高架陸橋で渡って、さらにカーブしている。陸橋を渡り終えたところに今が盛りとばかりに様々な色のルピナスの花が咲き誇っていた。
 この陸橋からいくらも行かないうちに、右側に売店のあるパーキングエリアが現れ、自家用車・バイクが数台駐車している。
三国峠  12時、ここが標高1150m北海道で一番高い峠「三国峠」だった。
 眼下に広大な樹海が広がっている。バイクが4,5台駐車しており、一人のライダーが話しかけてきた。地元の人で「9月に鹿児島へ行く」とのこと、連絡先を告げてわかれた。この間にも数台のバイクが出入りした。

 三国峠を下り、大雪湖岸を左(西側)に迂回しているときに、右前方にキラキラ光る残雪を頂いた山頂が見えた。大雪山だ。

 午後1時20分、三国峠の地元ライダー氏が教えてくれた上川のドライブインでラーメンを食った。旨かった。旭川までは近い、改めてガイドブックを開いて、層雲峡の銀河の滝、流星の滝というのを見てくれば良かったと思ったが後の祭り。暑い、この日旭川の予想最高気温は33℃。

 旭川紋別道から道央道に乗り、2時35分「旭川北」で一般道へ降り、時間が早かったので旭山動物園に行ってみることにした。
 3時、さすがに旭山動物園は平日にも拘わらずバスや自家用車がたくさん来ており、中・高校生の団体や家族連れで賑わっている。鹿児島の平川動物園と違って山の斜面にあるため、炎天下、動物舎を見て歩くのに坂を上り下りし暑かった。アシカやペンギンたちもこのうだるような暑さで可哀想だった。
 オオカミの檻で飼育員が肉の塊をやると父親オオカミが自分は食べず2,3匹いた子供たちに持って行き食べさせていた。子供たちは奪い合って食べていたが、近くの母オオカミも優しい目でそれを眺めていたのが印象的だった。

 5時、この日も「東横イン」(別にPRするつもりはありません)にピットイン。
この夜遅めに旭川のMさんから連絡があり近況を聞いた。今度の土日ハーレー軍団30余台で知床へ1泊ツーリングに行くと言っていた。バイクを楽しんでいるな、天気が良ければ良いが。

 明日から雨模様、北海道南部・東北とも天気が芳しくない。
 小樽まで行って、体力に問題なければ函館から東北という選択も考えていたが、体調良好でも雨の中を何日も走りたくない。
 雨を避けて旭川にもう1泊とも考えたが、旭川で日本ハムの試合があるらしく、明日は満室で延泊不可、おそらく他の施設も同じ、1日伸ばしても明後日、明明後日とも天気は芳しくない。明日は雨の中を札幌・小樽へ行くことに決めた。
(本日の走行距離 343.0km)

▽ 旧知を訪ねて/第11日目(旭川→札幌→小樽)

 5時起床、外は曇り、路面は濡れている。
 今日は昼過ぎに札幌に着けば良いので、9時過ぎ、荷物と自分の雨仕度を整え、ゆっくり出発。北海道に来て約2,400km走行しエンジンオイルの交換時期にきたので、出発して直ぐに旭川のハーレーショップで交換してもらった。
 雨の中を飛ばしても仕方ないので、高速道を使わず国道12号線を行くことにする。 
 旭川市街地を過ぎてしばらく雨は降らなかったが、途中から本降りになってきた。
これまでと違って、12号線は交通量が多い。渋滞こそしないもののこれまでになく車が連なっている。車の後ろをついて行くと、しぶきが掛かる。

 雨の中を2時間近く走行、12時過ぎに道の駅「三笠」で昼食を済ませたところで雨は小やみになった。バイクの前面、マフラー周辺が泥だらけになっている。ゴメンな、帰ったらきれいにしてやるからな。この後、小樽まで曇っていたが雨は降らなかった。

 札幌には数人の知り合いがいるが、これから会う予定の彼が一番付き合いが長い、付き合いは長いが北と南、ほとんど会うことはない。昨年まで会社社長さんだったが、リタイアして悠々自適だ。

 この人を訪ねるのに、自分としたことがミスってしまった。
 電話番号を間違って持っていた、NTTに聞くも分からない。やむなく、事前連絡なしに訪ねることにして、ナビに住所を設定連れて行ってもらう。
 午後2時、目的のK氏の居宅を発見、ちょうど外に出ておられたご婦人に「Kさんのお宅ですか」と聞くと、「どちら様ですか」と聞き返され「鹿児島の・・」というと、「あっ、56さん」と、バイクと鹿児島で直ぐに分かってもらえた。
 K氏も在宅で、すぐに家に上がれと促された。昨年新築した真新しい家に雨と長旅で汚れた姿で上がるのは申し訳なかったが、失礼して応接間に上がらせてもらった。
 北海道に来ると予告も何もしておらず、突然、押しかけたにも拘わらず、ご夫婦でいつも会う隣人のような気安さで接していただいた。
 近頃は、近況のメールも滞りがちだったが、お互いの家族のこと、孫のこと、リタイアしてから嵌まっているという川柳のこと、海外ツーリングのこと、宮城の地震のこと・・・など、長居はしないつもりだったが、時を忘れ2時間ほど話し込んでしまった。
「泊まっていけば」と引き留められたが、明日も明後日も天気が良くないことを考えると今日のうちに北海道を離れようと思っていたので、感謝しつつK氏宅を辞した。
 北海道ツーリングの目的の一つを果たすことができた。

 6時前、小樽のフェリーターミナル。
 出港は夜中の11時半にも拘わらず既に10台ほどのバイクが駐車場の一角を占め、雨装備の解除などしている。みんな北海道を楽しんだという満足顔だ。プレートは、大坂・奈良・神戸といった関西が多い。バイクもほとんどが大型。
 取り敢えず乗船手続きを済ませ、昨夜調べた舞鶴のホテルに明晩の宿泊を予約し、待ち時間が十分あったので「小樽の運河」に行ってみた。
 運河は、イルミネーションの光が水面に反映してきれいだった。夕涼みがてらの家族連れや二人連れがそぞろ歩いている。バイクを駐車場に駐め、散策。
 倉庫を利用した居酒屋は開いているが、お土産店やレストランはもう閉まっている。
お寿司屋さんで夕食をとりながら聞くと、昼間は客が多いが、小樽市内には泊まらず夕方になると客足は少ないので、早めに店を閉めるところが多いそうだ。
 生ビールと言いたいところだったが、フェリーまで帰らなければならない我慢。

フェリーターミナルに戻ると、まだ乗船には早かったが係員に乗船口の方へ誘導された。そこには新たに別のバイクが10台ほど並んでいた。11時の乗船の頃には後ろにも並び合わせて30数台になった。

バイク区画  通常バイクは、車両甲板の端っこにロープで固定されるが、バイクのメッカ北海道に行くフェリーは違う。車両甲板の船首部分にバイク用の区画が設けられていた。夏場はこの区画がバイクで一杯になるんだろうな。

 夜中11時45分予定より若干遅れて、高速フェリー「あかしあ」の出港。十分に楽しませて貰った「北海道」を離れた。
(本日の走行距離 194.5km)

▽ 高速フェリーあかしあ/第12日目(小樽→舞鶴)

 北海道に来て、いつも4時前後に1回目が覚めていたが、夕べが遅かったせいか目覚めたら7時20分だった。
 8時には船内レストランと浴場が開店、先ずは風呂で疲れをとる。
 秋田沖は快晴で湯船から見る外洋は水平線まで青々としていた。風呂の次は朝食、レストランのメニューは1,000円のバイキングのみ、欲張らず正味500円分程度に押さえて済ませた。

 何することなく、カメラのバッテリーをチャージしたり、ベッドに寝転んだり、後部甲板から航跡を眺めたり、時間を持て余した。
 船長から、「あかしあ」の速度は20ノット、陸から150km沖合を航行、10時半には北行きの僚船と行き交う、午後3時には能登半島が見える・・などと説明があった。
日本海は穏やか、陸地は見えない。ほとんど揺れはなく、順調に航海。

 21時、舞鶴港着岸。
 港は真っ暗、どっちへ走れば良いか分からない、取り敢えず京都ナンバーについて港を後にする。明かりがちらほら見えた辺りで、ナビにホテルをセットして向かった。
 今夜のプラザホテル舞鶴は港から6kmほどのところにあった。
 フロントで隣にある居酒屋「つぼ八」の生ビール券をもらったので、荷物を片付けてから、夕食がてらビール券を使わせてもらう、戻って天候を調べると、北海道と違って西日本は梅雨明けの快晴。となると往路と同じ宮崎フェリーで帰っても面白くない。
よし、走ったことのない日本海側を陸路で帰ろうと決める。
(本日の走行距離 6.2km)

▽ 鳥取・松江通過/第13日目(舞鶴→鳥取→出雲)

 このホテルでは、朝、コンビニの菓子パン、三角おにぎり、缶コーヒーが配られた。
北海道ではおにぎり朝食だったけど、ビジネスでは最近こういうのが多いのかな。
 出発前、フロントの男性にバイクを洗いたいので水道を使って良いか聞いたところ、快く水道とホースを使わせてくれた。雨の 北海道で被った泥を手早く洗い流した。
 ウィンドシールドやライト周りには飛び込んできた虫の残骸がこびりついており、水をかけただけでは簡単にはとれなかった。

 8時半、ホテルを後にする。快晴。
追い越し禁止の片側1車線、渋滞とまでは言わないが、長く連なった車の列がのんびり(?)走る。流れに合わせてゆっくり走るしかない。
 北海道は良かったとつくづく思う、車は少なく走りやすかった。
 初めての舞鶴から鳥取方面へのルートはどうにも分かりにくい。

 途中、給油したG/Sのお姉さんが鹿児島ナンバーを見て、指宿・知覧に行ったときの話をして、奥からキャンデーとティッシュを持ってきてくれた。

 12時半、道の駅「白うさぎ」にて日本海を眺めつつ昼食をとり、鳥取を通過して松山を目指す。昨年北海道を走った都城(宮崎県)のライダーは、舞鶴から一気に高速道を宮崎まで帰ったようだが、急ぐこともないので松江、下関辺りで1泊しようと考えていた。3時半、松江まで来た。明るいうちにもう少し走っておこう。よし、出雲まで行って、明朝出雲大社にお参りして帰ろうと決める。
 5時、出雲市駅前のホテルに到着。
(本日の走行距離 357.0km)

▽ 長駆九州南端まで/第14日目(出雲→山口→鹿児島)

 5時起床。早朝清々しいうちに出雲大社にお参りに行くつもりで準備は昨夜のうちにほとんど済ませていた。天気は快晴、ただ、九州方面は曇り時々雨との予報。

出雲大社  6時半、出雲大社。さすがに人影はない。本殿は修復中で周囲を板壁で囲まれており、仮本殿が設けられていた。二礼二拍一礼して無事に念願の北海道ツーリングを終えたことを感謝、もう一つ「お願い事」をして、唯一早朝から開いていたおみくじ販売所で法衣の若いお兄さんからお神籤と「お守り」を購入して辞した。

日本海  後は、日本海沿いを延々「益田」まで走り、益田から内陸に入り山口を経由して九州を目指した。午後1時、山口市。
 山口市まで下道をのんびり走ってきたが、宇部に入った辺りで道路標識を見失いどう間違ったのか路地に入り込んでしまった。
 これに懲りて、山陽自動車道にルートを切り替えた。
 高速に乗ると早い。予定より1時間早く2時には関門海峡通過、九州に入る。
見慣れた地名になってきた。

 3時半、古賀SAにて給油、まだ降る気配はないが行く手に雲が広がっている。
 九州縦貫自動車道は、結構クルマが多い、バックミラーに現れた車影が瞬く間に追い抜いていく。
 4時過ぎ久留米を過ぎた辺りで、左前方に黒雲が垂れ込め稲妻が走っているのが見えた。
 ほどなくパラパラ雨粒がヘルに当たり始めた。陸橋の下に停車して雨衣をと思ったが、自動車道は道路脇にチョット停止というわけにいかない。
 幸い、さして遠くないところで「広川SA」に飛び込み、荷物にカバーを掛けレインウェアを着込む。この間、雷がゴロゴロ鳴り雨は本降りになってきた。
 屋根の下でひととき収まるのを待ち、小降りになったところで再び本線へ戻り先を急ぐ。

 6時20分、山江SAにて休憩がてら我が家にTEL「エッ、今日帰ってくるの?」と予期していなかったらしい返事。
 かくして7時40分、帰着。アラセブンの北海道ツーリングは終わった。(2011.7)

(本日の走行距離 669.8km)
全走行距離 3,603.5km  

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