乗  船  日  記

▽ 初日 その日の内にバンクーバー
日付変更線を越えて  鹿児島空港から,羽田・成田を経由してバンクーバーへ。
午前10時半にわが家を出て,その日の11時にはバンクーバーに着くという不思議?? それは初めて超えた「日付変更線」
 日本とカナダ夏時間との時差はマイナス16時間。東に行くに従ってどんどん時間が減っていく。

 成田を夕方6時過ぎに離陸して,9時間弱で着いたときは出発日と同じ日の午前11時。  バンクーバーは昼前だったので市内を一回りバスで観光し,15時,初めて豪華客船「ダイアモンド・プリンセス」にお目にかかった。

 乗船の前にカナダからアラスカへのアメリカ入国審査を受ける。体育館のような空間に観光客が幾重にも並んでおり,ここは年中込んで,時間がかかると言われていたが, 比較的短時間で手続きを終えた。
入国管理から屋内を通ってダイアモンドプリンセスへ乗り込む手前には専属のカメラマンが待ち構えており,ひと組ずつポーズを取らせて撮影してくれる。 (この写真を含め,船内ではいろいろな場面で乗客の写真を撮ってラウンジに張り出し,有料で販売していた。)
 乗船の前に全員クルーズカードが配られ,船の入り口で機器に通し乗船。
キャビンに案内され荷ほどきをしている間に,我らの豪華客船はいつの間にか音もなく出港していた。キャビン向かいの小島が後方に流れているのを見なければ, 動いているのが分からないほど。今日は1日が長く疲れた。

▽ 2日目 終日クルーズ
先ずは船内を  終日カナダの西岸の島々と大陸の間の水路をクルージング,時差の関係か昨夜は眠りが浅く,飛行機でも眠れなかったのに,夜中たびたび目覚めた。
 午前9時,自室のライフジャケットを持参して避難訓練,タイタニックを見ているので一応使い方と飛び込み方は覚えておく。ちなみに飛び込むときは 鼻をつまんで,足を踏む出すようにして,垂直に海面へ落ちろと言うことだった。
 避難訓練の後は,短い船内見学会(写真は中央部5〜7階の吹き抜け)に参加。
 一緒に行った乗客の中には,時差か疲れかぐっすり寝込んで,目が覚めたらお昼だったという人が何組もいた。

 午後は16時から船長・料理長を交えたツアー会社主催のカクテルパーティー,ドレスコードは1回目の「フォーマル」,黒のスーツとネクタイを着用する。 のんびり船内を見て回るヒマはなく結構忙しい。
 今回,日本人は九州だけかと思っていたら東北から九州までの450余人が参加,それでも日本人は全乗客の7%程度で,圧倒的に白人が多く他に韓国人や中国人 の乗客もいた。レストランや部屋担当のスチュワードなどスタッフ」も東洋系,ラテン系,南米系,欧米系と国際色豊か。
 フォーマルの日,欧米の乗客でもかねて正装することは少ないのか,おしゃれをしたカップルが,ポーズを決めて記念写真を撮っている様子があちこちで見られた。 ディナー後,自分たちも記念写真を撮り,シアターにダンスショーを見にいった。
 ダイヤモンドプリンセスは,次の寄港地ケチカンを目指し終日航海。

▽ 3日目 ケチカン寄港
 昨夜も熟睡できず,時差にまだ慣れないのか軽い頭痛。目覚めたときには,船はすでにケチカンに着岸していた。
 朝食は,昨夜頼んでおいたルームサービスで済ませ,8時半には観光で下船。外は小雨,寒い,持参した傘が役に立った。
 案内されるままバスに乗って,ケチカン郊外の先住民クリンケット族の「サクスマン村」へ。高さ20mほどのトーテムポールがいくつも立っている公園で説明を受ける。 トーテムポールにはそれぞれ意味があり自然界の神様と自分たちの関係を示し,昔はどこの家にもトーテムポールがあった。部族によって特徴がある……など。
クリンケット族の一家  公園内の施設で,先住民の昔の生活を紹介する映画を見,先住民が民族衣装で踊る伝統の踊りを見た。踊り手に3,4歳の女の子もおり仕草が可愛かった。
 その後,ここの小さな民芸品店は,日本人で一杯になった。

 観光を終えケチカンに戻り,午後1時まで自由行動。小雨の中,ほとんどは船に帰っていった。わがウッカタ(妻)も寒いと言って船に戻り,1人,雨の中ケチカンの町を散策。 歩いていると,川沿いに古い町並みが並ぶクリーク通りに来た。下を流れる川に無数のサケが上流目指してひしめいている。
 そこへ橋の上から釣り糸を垂れている子供がおり,見てる間に1尾つり上げた。短い竿に疑似餌だった。釣った鮭は父親らしい人が写真を撮り,リリースしていた。

 ケチカンは,もともと先住民が漁業で生活していたが,金が発見されたことから白人が押し寄せ金鉱の町となったものの間もなく衰退し,その後,漁業の町として栄え, 1930年の頃には「世界のサーモンの首都」と呼ばれるほどになったという。
 ここの歴史博物館には,先住民の民芸品などとともに帝政ロシア時代の遺品も陳列してあるとのことで一見しておきたかったが,見逃した。
 また,ケチカンは,アメリカ大陸でもっとも雨量の多いところだそうで,道理で今日も雲が低く垂れ込め小雨だった。
 船に戻り,遅い昼食の時に一緒になったニュージーランドの女性が年間300日は雨だそうだと言っていた。レインズ(rainns)をライズと言うので, 初めなかなか分からなかったけど。レインズと思ってる方が悪いのかなあ。

 午後は自室で昼寝,休息。
 夕食時,一緒になった福岡の夫妻は多いときは年7回旅行に行き,グリーンランド,アイスランド,シベリア,北朝鮮にも行ったことがあるそうで, オーロラを5回ほど見たと言っていた。ご主人はこの日79歳のバースデイで,レストランのスタッフからケーキとハッピーバースデイの歌の祝福があり, 我らもケーキのご相伴にありついた。
 夕食後,がら空きのネットカフェに行ってヤフージャパンを開き,娘にメールを送ろうとするも,回線が遅い上にエラーとなりあきらめた。 後で,回線は海上なので衛星経由になり,時間がかかるうえ,料金が相当に割高ということが分かった。

▽ 4日目 ジュノー寄港
 今日は,2カ所目の寄港地ジュノー観光。
 恥ずかしながらアラスカ州で知っている都市は唯一アンカレッジのみでジュノーが州都とは知らなかった。とすると,ここジュノーはマケイン氏が 指名した共和党副大統領候補の女性知事ペイリン氏の本拠地である。

 ジュノー観光の出発は12:00,町から20kmほど北の「メンデンホール氷河」見学と鮭のふ化場見学,このところお腹が飽食状態でもあったので, 10時過ぎ朝と昼をかねた食事にした。ゆっくりついでにコインランドリーで靴下や下着を洗濯,洗濯は有料で洗濯とドライで2ドル。
初めて見る氷河  午後,バスを連ねて最初の氷河へ,初めて見る氷河は,オオッこれか!と目を見張った。地球が気の遠くなるような年月を経て作り上げた素晴らしい景観だ。
 周囲の遊歩道で「熊だ!」と誰かが叫び,急ぎ行ってみると さして大きくない黒熊が我々の前方20mほどの小川で遊んでいる。しばらくして,人が集まってきてカメラを向け始めたところで茂みに消えた。

鮭のふ化場は,鮭が遡及する川の途中にあり,のぼってきた鮭から卵を取り出し,ふ化させて稚魚にこの川のにおいを記憶させる「刷り込み」期間を経て, 放流,そうすると1〜5年後,記憶した水のにおいを頼りに戻ってくると言う。
 今やアラスカで漁獲される鮭の25%はふ化場で生まれたものだそうだ。資源量を減らさず鮭をとり続けられるように,大量のの鮭を放流していると言う。

 ジュノーの町は,前方は入り江,後背は山岳のあまり大きくない町である。聞くと,州都とはいえ外部につながる道路はなく,行き来は飛行機か 船しかないという。アラスカは自家用飛行機の保有率が最も高いというのもうなずける。
「ダイヤモン・ドプリンセス」が停泊している目の前にロープウェイがあり,観光から戻って山頂まで行ってみた。
 上からは,入り江が川のように見渡せ,我らの「ダイヤモン・ドプリンセス」の近くに停泊している2隻の大型客船やジュノーの町並みが見渡せた。
 帰りのロープウェイの途中で,ガイドが何か英語で説明し,白人達が一斉に左側を見るので,見ると白頭ワシが1羽悠々と近くを舞っていた。
 
▽ 5日目 スキャグウェイ寄港
ゴールドラッシュの山岳鉄道   今日は,寄港3カ所目のスキャグウェイの列車観光。
 朝07:30集合と早かったため,朝食は早めのルームサービスを頼み簡単に済ませた。
部屋から外を見ると,昨日と同じ船か大型客船が2隻着岸していた。
 下船してすぐのところに,3両の黄緑の機関車につながれた15両ほどの客車の列車が2本待っていた。
 ここスキャグウェイは,19世紀末,カリフォルニアに次いでゴールドラッシュに沸いたところで,1896年に東南アラスカとカナダの国境近く クロンダイクで金鉱が発見されると、金を掘り当てようと西部の荒くれ男達がこのスキャグウェイへ集まってきた。そして,これらの人々や物資を運ぶため カナダのホワイトホースとの間の標高0mから約900mの山間にホワイトパス・ユーコンルートという山岳鉄道を建設した。
 しかしブームが去ると,町は急速に衰え,当時2万人いた人口は現在では800人に減少したが,アラスカの中では最も当時の面影を残す町と言われているとのこと。
 現在は,観光の町に生まれ変わり,素晴らしい景観を楽しむことの出来る鉄道が再び大活躍をしている。我らも,渓谷沿いに坂道をゆっくり上るレトロな列車の旅 (片道約40km)と雄大な景観を十分に楽しみつつ,かつての荒くれ達の無法の時代に思いを馳せた。

 この日夕食は,唯一予約とテーブルチャージ(有料)の必要なイタリア料理のレストラン「サバティーニ」でのディナー。
ドレスコードはスマートカジュアル,ジャケットにネクタイをしていった。案内された席は12人席のテーブルで,仙台,大阪,鹿児島の人たちと一緒。前菜,スープ, サラダ,主菜を選び,運ばれた料理を楽しみ,ワインやビールを飲み,楽しくしゃべった。万事スローペースで,デザートを持ってくる頃には延々3時間も掛かっていた。
 食後カジノを覗くと,カード・ゲームやルーレット,スロットルをやっており,結構盛況である。カジノは航海中総額500ドル以下,1日150ドル以下と決められている。

▽ 6日目 グレーシャーベイ(氷河の湾)
グレーシャーベイ(氷河の湾)  今日は,1日氷河の湾をクルージング,朝配られた説明書の概略図を見ると,狭い入り江を奥深く入り込んだ,突き当たりの辺りに氷河が集中している。
 かつては,入り江全体が氷に閉ざされていたと言うから,温暖化でどんどん氷河が後退したのであろう。

 朝,ダイアモンドプリンセスは既に湾内を航行しており,9時頃,バルコニーから対岸を見ていると,最初の氷河が現れた。あとはカメラである。
 この氷河が過ぎて,高いところから全体を見たいと思い,15Fのデッキに行く。外は小雨で寒く毛布の貸し出しがあった。人々はみんなカメラを持って船首の方に集まっている。 湾全体に雲が垂れ下がり視界が霞んでいる。その中,1隻のクルーズ船とすれ違った。

 11:00近く湾の最深部の「グランドパシフィック氷河」の前に来た。高さも横幅もこれまでの氷河に比べて格段に大きい。
 ここでダイアモンドプリンセスは,乗客がゆっくり氷河を楽めるように横向きに停止,その間に小さな氷の崩落が1,2回見られた。全体が大きいので崩落は小さく見えたが, 静寂の中で音だけはお腹に響くドーンという大きな音がした。そのたびに見物人から歓声が上がった。ここでもみんなカメラタイムである。
グレーシャーベイ(氷河の湾)
 外に長くいると寒い,中に入ると室内プールの脇でちゃんと熱いスープが準備されていた。ワイン入りの熱いスープを飲むとすぐに冷え切った身体が温まった。
  船は両側の船室の乗客から氷河が見えるように一度首を振り,その後ゆっくりターンして湾口へ向かった。

 午後,ダンス教室を覗き,ウッカタ(妻)が卓球大会に参加したりして過ごす。
この日は2回目のフォーマル日,またもダークスーツにネクタイ。
 夕食は,レストラン「パシフィックムーン」熊本の夫妻と同席になった。
いつもの通りコース料理を一通り選び,飲物はアラスカビールを注文。これまで毎日,ダイアモンドプリンセスが作る自慢のディナーコースを食べてきたが, この日のディナーはことのほか美味しかった。熊本の夫妻もそう言っていた。
 食後,ウッカタに引っ張られダンス音楽演奏のクラブフュージョンへ,ルンバ・ジルバを付き合わされる。40数年ぶりか。

 午後10時半からは,プリンセス・クルーズの目玉イベントという「シャンパン・ウオーターフォール・パーティー」があるというので,早めに会場の5〜7階吹き抜けになっている中央アトリウムへ。
 30分ほど早かったが,すでに正面の席は先客が占領していたので,カメラアングルを考え階段の中頃に陣取った。人がどんどん集まってきて,すぐに周囲は満員になった。
 準備が進み,グラスを積み立てるテーブルがセットされ,シャンパンは箱ケースのまま15箱ほどが持ち込まれた。
準備が終わると,レストラン総支配人が出てきて英語で挨拶,積み上げが始まった。積み上げるグラスはウェイターが1回に30個ほどをお盆に載せて次々に持ってくる。
シャンパン・ウオーターフォール  最初は中央に1列にグラスを並べ徐々に横に広げ,次の段へ進み,危なげなくグラスが積み上げられていった。
この間も船は航行しているが,全く揺れは感じない。
 20分ほど掛かり749個シャンパングラスの積み上げが終わり,支配人の口上があって最後の1個が頂点に積み上げられた。全部で750個のグラス。
 そして,いよいよシャンパンである。
 注ぐのは,初めの1本を支配人が,後は希望する乗客に順番に1本ずつ注がせる。注ぐと言っても,一番上のグラスに慎重に注ぐのではなく,シャンペンボトルを 大きく振って撒き散らすやり方である。下のグラスに入るのかどうかはお構いなし。
シャンパン注ぎを希望する乗客は列を作り,一人に1本ずつのシャンペンを惜しげもなく開栓し,積み上げたグラスの上で撒く。シャンパンは優に200本は超えていたであろう。
 この間,ブラスバンドがダンスミュージックを演奏し,狭いフロアでプリンセスのスタッフに乗客も飛び込んで踊りの輪となり,周りの客にはシャンパンが振る舞われた。 シャンパン注ぎと熱狂的なダンスは延々と続き,収まったのは24時を過ぎてから。

▽ 7日目 カレッジフィヨルドの氷河
 今日は,次の氷河を目指し入り江から入り江へ終日クルーズ,氷河は夕刻5時半頃から見え始めるとのことで,日中はゆっくり。  朝食を抜き,シャワーして,船内厨房見学会に参加,2,600余+1,200余人の胃袋を注文に応じて賄う厨房を見せて貰った。思ったより広くはないが,できたての料理が大量に並び, ステンレスの棚も床も清潔でピカピカしていた。

 昼食はいつもの14F「ホライゾンコート」のビュッフェ,同席になった白人老夫婦に片言で話しかける。この夫婦はテキサスから来たそうで,クルーズは4,5回乗っているとのこと, 日本にも行ったことがある,オバマとマケイン(こっちの発音が悪いらしくなかなか通じなかったが)ではマケインの方が素晴らしいと言っていた。

 部屋に戻ってからは,明日の下船準備の荷造りをした。
16:00日本から来た全員が集まっての下船説明会へ,途中,すでにスーツケースを外に出している人もいた。早い。

カレッジフィヨルド  説明会の後,15Fの比較的人の少ない後部へ行って氷河を待つ。ここでも奥まった細い入り江の奥へ奥へ船は進んでいく。
この入り江の左右に氷河が流れ出ており,右側の氷河にアメリカの男子校,左側の氷河に女子校の名が付けられ,全体をカレッジフィヨルドと名付けられている。 大学の名前を付けているのは,氷河の探検を行った探検家の出身校の名が付けられたからだという。

 船が進むにつれ,海面に黒いボールのようなものがいくつも浮いているのが見えた。何しろ15階から海面まではかなりの高さにあり,船から離れているので正体が分からなかったが, 船に近づいたのをよく見るとラッコたちだった。10匹ほどの群れで,潜ったり浮いたりしている。
 やがて大学の名前の付いた氷河が現れてきた。
 ここでも最大は一番奥の「ハーバード氷河」,その前でダイアモンドプリンセスは停船し,しばらく氷河を観察。この間にいつの間にかオレンジ色の救命艇を降ろしており, 救命艇には熊のぬいぐるみを着たクルーが乗って,本船の周りをゆっくり1周していた。
 見納めの氷河をしっかりまぶたに焼き付けて,船は氷河の前でターン,明日の終着港ウィッティアへ向かった。

 氷河見学の時間帯の関係で,夕食は20:00から。日没は20:43でまだ明るく,夕食時,窓越しに見る向こうの氷の残る山々は美しく,海面には時折氷塊が浮かんでいた。

 22:30には,明朝の下船に備え,指示通りスーツケースを外に出し,目覚ましに携帯のアラームを設定し,早めにベッドについた。

▽ 8日目  下 船
 06:00目覚め,バルコニーから外を見ると,船は既にウィッティアに着岸している。急ぎ準備して,ビュッフェで最後の朝食をすませ,一旦部屋に戻りTVのインフォメーション を見ると外の温度は9℃となっている。
 06;40薄ぐらい中,白人の早い組の下船が始まっている。
我らは08:00集合し,下船となっている。
聞くと,我らが降りた後,午後には新しい乗客が乗船するとのこと。船のスタッフはどの部署も忙しい。1日ぐらいゆっくりさせれば良いのに。

アンカレッジ  手荷物だけ持って08:00 集合,頭数があったところで下船開始。最後のカードを出口の機械に通す,お世話になった。
 バス6台を連ねてウィッティアからアンカレッジへ約1時間。ウィッティアの町の出口にはアメリカ最長(それでも4kmほど)というトンネルがあった。このトンネルは, 鉄道と兼用で,幅はバス1台の広さ,従って列車の時間は上下線待機,列車が来なくとも時間を決めて一方通行になる。日本だと考えられない時間待たされる。
 そして,アンカレッジへ。
14:55 日本航空チャーター便に乗り込んで,日本へ向かった。

▽ 9日目 帰 国
 日中の気温13℃のアラスカから 気温30℃のムッとする関空へ無事着陸。帰路につく。


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