
カメラアイ天璋院“篤姫追想” 開設:平成19年7月12日
はじめに
来年、NHK大河ドラマで放映される“篤姫”、その篤姫が幼い頃に遊んだと思われる所縁の地、指宿市・薩摩今和泉の今和泉島津家跡地界隈と、後半は天璋院篤姫の墓碑が建立、徳川歴代将軍霊廟が祀られている寛永寺を散策し、私のカメラ視点で撮らえた作品“篤姫追想”をご紹介します。
観光案内のページでは御座いませんので、内容の物足りなさにはご了承下さい。
更新も考えております。
今では篤姫と同じ年頃の子供たち、学校行事のランニングコースにもなっています。
1884年指宿道路かできた頃に植えられたとか、自然の樹形・樹皮に歴史を感じる。錦江湾から寄せる波音、吹く風が松並木の間を心地よく掠めてくる、最高の憩涼地です。


西郷さんのような、重量感のあるドッシリとした立派な手水鉢です。(指宿市・有形文化財)高さ93センチと腰の辺まであり、現在は夏目型とも呼ばれています。


古井戸、いたずらにチョッと中を覗いて見ました、ん?。ついでに釣瓶も描いて見ました(笑

海岸に沿って200メートルほど石垣が積まれています。
今にも崩れそうですが、松の根がしっかりと抱えており
お互いに支えあい、守りあってるようです。


こ猫ちゃんも気持ちよくお散歩 (^0^)
今和泉島津家墓地は小高い山の麓、青々と茂った木々に囲まれた所にあります。初代から六代までの当主が葬られています。写真は篤姫の父・島津家五代忠剛の墓と六代忠冬の墓(後方)



今和泉島津家墓地からおよそ徒歩5分の所にある豊玉媛神社(上)と神社入口の石灯篭の屋根。
東叡山寛永寺はJR山手線・鶯谷駅を下車して徒歩で約15分の所、上野公園の北西部にあります。
徳川家の祈願寺・菩提寺として知られており、多くの歴代将軍の墓碑、宝塔が建立されています。篤姫は1883年11月20日に48才で逝去、谷中霊園に埋葬されました。が、天璋院宝塔はここ寛永寺霊園に十三代将軍・家定公宝塔と並んで建立されています。(頂いた寛永寺教化部の資料を参考)
しかし、残念ながら墓碑は非公開で見れませんでしたが、篤姫様は嫁ぎ先、都内(上野公園)の静かな処で眠っているんだな〜と安心して、帰路につきました。次回、訪れる機会がありましたら多くの国宝・重文をゆっくり鑑賞しようと思っています。
四代将軍家綱公の死後に建立された厳有院殿勅額門(重要文化財)国立博物館の裏通りに面しており見ることができます。


門塀にはご立派な徳川家の葵の御紋が輝いています。
寛永寺本堂の境内には多くの石碑・石塔などが建立されています。
案内板の拡大画像



東叡山寛永寺本堂(旧川越喜多院の本地堂1638年建立、明治12年に当山に移築された)
