栗野町と吉松町の境にチッソ発電所がある。
この川は川内川である。
吉松町へは川添トンネルを通るので、この風景は見られない。
川沿いの旧道から撮った。
川内川は長い。
えびの市だけではなく、熊本県球磨郡にもその源流がある。
川辺ダムは新しいダムだ。
灌漑のために作られた。
水没したが、昔は細い道路が通っていて、坂之上の採石場へ抜けることができた。
風呂谷という地名が、ここにある。
得意先に風呂谷さんという方がいらしたので聞いてみると、やはりここの出だった。
親睦デュアスロンをここでやったのだが、最初で最後だと思っていた。
なぜなら川辺の街への道路が建設中だったから。
今はすっかり出来上がり、交通量も多くなった。
我が家の隣の庭である。
うりんぼうが遊びに来ていた。
子供は親といることが多いので、気をつけなければいけない。
この日も多分近くに親がいたはずだ。
無邪気に遊んで帰っていったのでホッとした。
動物に対しても虫に対しても、こちらからは絶対に行動を起こしてはならない。
この時期にはスズメバチに刺されるニュースをよく聞く。
初めに出会ったら、何もしないでやり過ごさなければいけない。
この田の神さあに会える人は、滅多にいないだろう。
花野団地を超えた北側の田んぼの脇に鎮座する。
腰を下ろした田の神さあは、珍しい。
ユーモラスな形である。
田の神さあは薩摩半島にいくつくらいあるのだろう。
田舎道を走るときには気をつけて探すのだが、まだ14体しかお目にかかっていない。
360度のパノラマが広がり、人が立てる山頂を、いくつご存知だろうか。
高千穂峰は残念ながら山頂に逆鉾があるため、それには該当しない。
私が立ったのは、韓国岳・野間岳・桜島北岳・そしてこの仁田山の4つだけである。
仁田山は標高300mほどの低い山であるが、眺望は素晴らしい。
金峰山・桜島・千貫平・開聞岳・大野岳・長屋山・野間岳・紫尾山・冠岳・・
串木野・吹上・加世田・知覧・川辺・・
これぞパノラマという景色が広がる。
場所は旧加世田市内山田から南東に数キロ。
お茶畑に囲まれている。
インターネットで池田湖の画像を探すと、似たようなものばかり出てくる。
湖上から撮ったものも、たくさん見てみたいのだが。
自分で撮るしかないかなあ。
対岸には尾下という集落があるのは、最近知った。是非、行ってみたい。
土産物屋があるほうは、なんとか観光地の体を成してはいる。
しかし菜の花マラソンの試走をして、たくさんの廃墟があるのを知った。
観光で栄えたのは、遠い昔の事だ。
でもやり方次第では、まだまだ人を集められると思うけれどなあ。
この神社には「さざれ石」がある。
そう、国歌に歌われるあの石だ。
「細石」と書く。
紹介が遅れた。
ここは霧島神宮である。
むずかしいことは書かない。
もともとは高千穂河原にあったそうである。
鎌倉時代には大噴火で焼失している。
埋め草みたいに始めたこの企画も、100画像目となった。
私が生まれ育ったまち(本当は部落という)を紹介したい。
部落問題(同和問題)がクローズアップされるにつれ、
昔は普通に使っていた「部落」が、使いづらくなっていった。
まったく意味が違うのに。
ここは笠沙町小浦部落である。(いまは小浦地区という)
もちろん部落問題など、まったくないところだ。
この海と山をかけずりまわって遊んだ。
そして、こげなやちないもしたがよ。
長屋山と書いて、「ちょうやざん」と読む。
その麓の集落は長屋と書いて、「ながや」と読む。
この山の丸い大きな物体は、航空機の為のレーダーである。
したがって多くの飛行機が、ここの上空を飛んでいく。
日曜日の夕方、頂上で空を見上げていると、それはもうたくさんの飛行機雲が見られる。
景色も筆舌に尽くし難い。
紫尾山・霧島・桜島・開聞岳・金峰山・野間岳・・
吹上浜・加世田・川辺・知覧・枕崎・甑島・鷹島・竹島・硫黄島・黒島・・
湖ではない。
津貫峠にある採石場だ。
深くまで掘り進めていき、掘りつくした場所である。
そこに雨水が溜まり、池のようになった。
魚はいないが、鳥はよくやってくる。
透き通った色ではないが、綺麗な水色だ。
ここは車を降りて崖を登らなければ見えない。
だから地元の人も、ほとんどここには気づかない。
この大きな岩山は、仙人岩というそうだ。
その中腹に、洞がある。
そこに納められているのが、不動明王である。
だからこの洞を不動尊洞と呼ぶ。
ここは冠嶽。修験者の山だ。
標高516mの西岳を冠岳と呼ぶが、それよりも下のこの一帯も含めて冠嶽である。
不動尊洞に辿り着くには、垂直な崖をよじ登らなければならない。
下りるときの方が怖いので、登れる人は限られるだろう。
佐多岬の料金所はこの日、雨だった。
志布志から太平洋岸沿いに走ってきた。
佐多岬をまた見てみようかとも思ったが、料金所でその気が失せた。
500円の価値があるかないかを思ってみた。
以前、訪れたときの記憶を辿ってみた。
私には、もう100円の価値も無かった。
いや、そうではない。自然を味わうのに、お金を取ることが間違っているのだ。
この料金所は、近いうちに無くなる。
京都のお寺の娘が、霊元天皇の皇子の霊を慰めるため、
33体の観音を全国の霊域に奉納しようと、ここ久志の地も訪れた。
しかし今から300年ほど前は、薩摩は真宗禁制だった。
娘は厳しい取調べを受け、この穴に隠れて暮らした。
そしてそのまま、ここで没してしまった。
人々はここを「穴ん婆さん」と呼ぶようになった。
ここからの景色は素晴らしい。
東シナ海や久志の街を、眼下に眺められる。
なんじゃ、この写真は。
いつもとは毛色の違う画像である。
よく見て頂くと、断層がある。
1m以上のズレだ。
相当大きな地震が起きたに違いない。
場所は大浦町。
活断層の無いこのあたりでも、地震は起きるのだ。
地層が白いので、わかりやすい。
この画像は、一見まったくつまらないものに見える。
ところが実は、とても貴重なものなのだ。
何がかと言うと、左上にかすかに見えるふたつの島だ。
ここ坊津町から80km離れている。
1年のうち数日しか、目にすることができない。
その名は宇治群島。
南さつま市に属する。(昔は笠沙町)
人が住んでいたが、いまはヤギだけが暮らす。
根っこだけを見ていると、気持ち悪くなってくるかもしれない。
マングローブはおなじみの南方の植物だが、これもその類。
「メヒルギ」という。
群生する。
場所は大浦川。満潮になると、海水に浸かる。
不思議な植物である。
生き物は住む環境に合わせて、いかようにも変われる。
1000年後の人間は、もちろん今の形はとどめていない。
パッと見て、すぐにどこだとわかった人は少ないだろう。
この角度からこの山を見ることは、ほとんどの人はないであろう。
魚見岳である。
低そうに見えるが、215mもある。
もちろん、知林ヶ島の砂州から撮ったものである。
大潮の干潮にしか繋がらない島なんて、ドラマのようだ。
もっともっと、全国にアピールできる場所である。
指宿の人たちは、あぐらをかかずに宣伝しなければならない。
吹上浜が小湊から東市来まで続いている。
その先には串木野・羽島。紫尾山も見える。
手前に見えるのが大浦干拓。
なぜ大浦というのか、それは大きな浦、すなわち湾だったからである。
干拓の緑の部分は、昔は全部遠浅の海だったのだ。
画像の左から右まで、干潮になると歩いて渡れた。
「遊浜館」という海の幸が美味しい旅館が、画像右の中央にある。
その場所は「岩島」と呼ばれる。昔は海だったからだ。
鹿児島県は静岡に次ぐ、お茶の産地である。
知覧・川辺・頴娃・枕崎と、お茶畑が広がっている。
目に留まるのは霜の害を防ぐ為のファンである。
とにかくいっぱい、ついている。
お茶畑の中を走る農免道路は、とても快適である。
とてもマイナーな山である。
霧島連山の中のひとつ獅子戸岳は、新燃岳のすぐ北に位置する。
標高は1428m。
霧島縦走をする人も、通過点のひとつとしてしか思わないのだろうな。
快晴の秋に登れるのは、いつのことだろう。
しばらくは警戒区域である。
そこいらの建物だと思ってはいけない。
昭和47年まで鹿児島空港ターミナルとして活躍していたのだ。
もちろん鹿児島市内にあった鴨池空港の、それである。
溝辺へ移ったのがこの年だ。
私は高校1年生であった。
受験のときに聞こえていた飛行機の音が、入学時には聞こえなくなっていた。
新しい空港へ、離発着を見に行ったこともある。
鴨池はこの年から、急速に開発が進んだ。
巡視船は谷山港に停泊している。
冬の朝の凛とした空気が伝わるだろうか。
当然の事ながら、巡視船は武器を装備している。
日本が保有するのは127隻。
このほかに小型の巡視艇というものもある。
後ろに見えるのは、錫山。
イタリア式水階段「カスケード」と言うそうである。
谷山ふるさと歴史館の庭にある。
真ん中にある丸いものは、石である。
面白いことにこの石は水に浮いて回っている。
海が一面、金色になるときがある。
それが日曜日に重なることは、あまりない。
天気のいい日の夕暮れには、よく亀ヶ丘に向かう。
数十回に一回でもいいから、こんな瞬間に巡り合う事ができたらと。
夕陽ばっかり撮っている。
綺麗だからね。
数年前の大雪の日の紫原。
桜並木もご覧の通りである。
この日の峠はどこも通行止めだった。
地方から鹿児島市に通うのに、チェーンを積んでいない車が結構ある。
路肩にはスリップして動けなくなった車が点在する。
彼らにはひとこと贈ろう。
「まこて覚えんもんじゃ」
霧島市隼人町の西郷屋敷である。
西郷さんはいろいろなところに住処を持っていたようだ。
近くには大きなクスノキもある。
このあたりは蛍の繁殖に力を入れている。
綺麗な水が水路を流れている。
「薩摩隼人」というけれど、隼人町とどう繋がるのか、知らないままである。
そのうち調べてみよう。
近くには日当山温泉がある。
大浦干拓である。早期米を作っている。
よく見て頂くと、田んぼの中に岩がある。
ここが昔、海だった証拠である。
満潮の時には、田んぼの面は海水面より低くなる。
雨季の満潮時には、干拓の中の水を大きなモーターで強制排水する。
米不足の時代があったことが、嘘のようである。
大浦干拓はほとんどの田んぼで米を作っているが、世の中休耕田だらけだ。
隣の小湊干拓は、悲しいくらいに草ボーボーである。
奈良から平安にかけて活躍した和気清麻呂。
道鏡の恨みを買い、しばらくここ霧島の地に追いやられていた。
その後京に上り、長岡京・平安京の遷都に尽力する。
由緒正しき和気神社である。
ここに白いイノシシが飼われている。
珍しいのであろう。
私は家の近くで全員白いイノシシの家族を目撃したのだが。
写真を撮らなかったので、証拠がない。
小松帯刀の屋敷跡は、原良町にある。
ここから鶴丸城まで歩いて通ったんだなあ。
昔の人はよく歩いたものだ。
帯刀のお墓は日吉町にある。
もともとの姓は肝付、喜入に生まれた。。
それが20歳で吉利にある小松家の養子になったのだ。
などということが、ここを訪れるとよくわかる。
宮崎県小林市のものと比較すると、リアリティーに欠ける。
しかしここ内山田の陰陽石は、数本がそそり立つ。
岩には凡字も彫りこまれている。
もう少し手入れがなされていればいいのだが、草ぼうぼうである。
駐車場への道も、狭くて怖い。
南さつま市はもう少し力を入れてアピールしてくれないかなあ。
活性化する方法は、いくらでもある。
南さつま市加世田の内山田に、この岩はある。
これだけではなく、さまざまな奇岩が見られる。
この岩をどう見るかは、その人によって違うだろう。(違わないか)
明日は別の岩を紹介しよう。
むか〜しむかし、007の映画のロケがこの地であった。
ここは秋目港。
タイトルは「007は二度死ぬ」。
主役のジェームズ・ボンドを演じたのはショーン・コネリーだ。
3週間のロケだったが、映画に使われたのは5分ほど。
宿泊先の指宿から、俳優はヘリコプターで送迎された。
ひなびた漁村を醸し出すために、屋根はわらで覆われ、道路には砂がまかれた。
今は無き秋目小学校の校庭は、レストランに早変わりした。
にわかには、何の画像かわからないであろう。
松元ダムである。
灌漑のために作られた。
このほかに永吉ダム、金峰ダム、川辺ダムと南へ続く。
この絵は、ダムの上から滑り落ちる水流を写したもの。
これらの水を少しでも電力に変えられないものだろうかと思う。
そのくらいの技術はあるはずだ。
水資源はいっぱいあるのに、もったいない。
都市農業センターは、小山田町にある。
季節ごとに花を植え替え、訪れる人々の目を楽しませてくれる。
土地を借りて農作物を作ることもできるらしい。
いつも通り過ぎるだけなので、詳しいことはわからないが。
青い空がよく似合う場所である。
この絵はあまり鮮明でもないし、立体感もない。
たいした絵ではないことを自覚しつつ、載せたい。
それはこの絵を見て「なつかしい」と思う人がすくなくともひとり、いるからである。
そのうちチャンスがあったら綺麗な画像を撮れるだろう。
その時にはこの絵を差し替えたい。
そいずいやこいで、かんにせっくいやい。
大浦町亀ヶ丘の西側の断崖である。
気が向いたときにこの崖の下から、頂上の東屋まで登る。
岩にへばりつき、木をつかみ、あらゆる方法を使って登る。
こんな幸せなときはない。
下を覗くと、東シナ海が真下に見える。
足がすくむ。
これがまたなんともいえない。
馬鹿は死ぬまで、高いところを目指す。
知覧町永里にあるこの田の神さあは、木製である。
初めて見てみた。
表情がとてもいい。
田の神は、見つけるたびに必ず写真に収めるようにしている。
どんなに急いでいても、こればかりは別だ。
もちろん、横からと後ろからの写真も撮る。
これは全国に誇れる鹿児島の文化だ。
内之浦町岸良はこの日、ガスがかかっていた。
折角の大隅半島だったのに、昼からは雨にたたられた。
この岩を見て頂くと、太平洋に面したこの地のスケールのでかさがわかって貰えるだろう。
私は薩摩半島でこんな大きな岩を見たことがない。
晴れた日に来たかったなあと、しみじみ思った。
太平洋の海の青さが見たかった。
砂浜は限りなく白くさらさらと綺麗である。
東京へ行くよりも時間がかかるこの地は、「はやぶさ」で脚光を浴びることになった。
頴娃駅である。
この写真を撮ったときの、頴娃駅から鹿児島中央駅までの料金は1430円。
一日に上り8本、下り8本の列車がとまる。
この土地の言葉は、南方系である。
笠沙町・枕崎市と並び、面白いイントネーションである。
奄美の言葉のイントネーションと実によく似ている。
三島や十島の言葉も、聞いてみたいなあ。
文化も言葉も、南から来たのだ。
久木野橋は、明治40年に造られた。
加世田と枕崎の行き来には、この橋が利用された。
近くには久木野小学校がある。
この川はとても綺麗で、カワセミがいつも飛んでいる。
とてものどかな場所である。
入来漁港は河口を利用している。
伊作川だ。
この川の起点は伊作峠。
同じく伊作峠を起点として流れる川に、永吉川がある。
出発地点は数百メートルしか違わないが、吹上浜に出るときには何キロも離れている。
ここの夕陽は海に沈む。
オレンジ・赤・桃色と次々に変化していく様は、時を忘れさせる。
夕陽は寂しくなるから、大好きだ。
吹上フルマラソンのコースである。
今は吹上30kmマラソンとなったので、このコースは使わない。
サンセットブリッジから野間岳が綺麗に見える。
最初の吹上フルマラソンに参加された方たちは、いまも30kmに走られる。
それだけでも、やってよかったなあと思う。
NPOの活動のひとつにしようと発案したのだが、うまくいったようである。
おまけに私の仕事にまで、いい影響をもたらしてくれた。
今年も当日、晴れればいいなあ。
山川町の竹山は、「おむすびを持って」で紹介した。
この写真を撮影したのは指宿トライアスロンが中止になった年だ。
まだこのときは登りたいという欲求はあまりなかったと思う。
なにせ初めて間近で見たのだ。
菜の花マラソンのコースもろくに知らなかった頃だ。
しかしこのときからこの山に興味が出てきた。
温泉が出ることもまったく知らなかった。
そういえば近くに地熱発電所があるんだなあ。
知覧町の冬の風物詩である。
漬物用の大根を、ひとつひとつ丁寧に干していく。
おばあちゃんも干している。
昔からやっているからできる作業だ。
そこんもいのおばあちゃんは、こんな高いところに登ることなどできない。
一生懸命働く人たちが報われる社会であってほしいと思う。
こつこつ働く人が、大好きだ。
吹上30kmマラソンのスタート地点の近くに、この池はある。
夏になるとたくさんのとても綺麗なホテイアオイの花が咲く。
それも池一面に咲くのだ。
7月頃がいちばんいい。
涼しい木陰から眺めることができる。
この花は私を惹きつける。
旧島津氏玉里邸庭園である。
鹿児島女子高の西側に隣接している。
1835年に島津斉興が作った。
その後、西南戦争で焼けるが久光が1879年に再建する。
ここの黒門から鹿児島工業高校西側への道は国葬道路といい、久光の葬儀のために作られた。
先日若いカップルにここを紹介した。
ふたりでゆっくりのんびり散策できる、なんちゅわならん庭園である。
坊津町平崎の漁港である。
漁港といっても、もうここで魚を水揚げする人はいない。
係留されている小船も数隻である。
防波堤は補修もされないまま、ごつごつとしている。
ただここに座って海を見ていると、とても落ち着くのだ。
タイムスリップできるところと言ってもいいかもしれない。
喧騒を忘れ、無になって海を見る。
誰もそこにいないから、ここは私だけの場所だ。
カメラはいつもそばに置いておくに限る。
シャッターチャンスはいつ訪れるかわからない。
やけに空が赤いなあと思いながら車を走らせていた。
その瞬間は突然やってきた。
松陽台への下り坂で、まるで火事のような風景が飛び込んできたのだ。
滅多にみられない夕陽であった。
かねての行ないのよさのおかげだろうな。感謝。
カメラはいつもそばに置いておくに限る。
犬迫から伊敷へ下りるとき、急な坂がある。
こういう場所には滝があるはずである。
いつか見に行きたいと思っていたが、なかなか機会がなかった。
竹の子の生える頃、やっと訪れた。
やはり想像した通りだった。
もう一箇所、松元から山田へ下りるところにもあるはずである。
柵がしてあって、行けそうにもないが。
ひと昔前、坊津丸木浜の少し先に町営のプールがあった。
その岬がこの写真である。
東シナ海の夕暮れはとてもいい。
どの地でも、どこから切り取っても絵になる。
このリアス式海岸は、素晴らしい。
南洲墓地(南洲神社)に足を運ばれたことはおありだろうか?
鹿児島県人なら、一度は訪れたい場所である。
歴史を細かく知る必要はない。おおざっぱでいい。
先人が、自分の為ではなく、世の中をよくするために動いた。
大事なのはそこである。
墓をゆっくり回りながら、自分のなすべきことを考えよう。
詳しい看板もいっぱい立っている。
鹿児島に生まれてよかったと、この場所で感じることができるはずである。
最近はあちこちに風車が立っている。
ここは千貫平の近くの「アグリランド頴娃」。
この日は梅雨が明けたばかりで、見晴らしがいまひとつよくなかった。
天気のいい日には、薩摩半島南部が一望できる。
お勧めの場所である。
桜島が冠雪することはよくあるが、5合目までというのは滅多にない。
錫山では50cmも積もった。
写真は木材港から撮った。
といっても、木材港がどこか知っている方は少ないだろう。
「きたやま」の近くといえば、わかりやすいだろうか。
雪は降らないほうがいい。
情緒や風流を味わう前に、大変なことがいっぱい待っている。
この日は2時間30分かけて、出社した。
以前、特集で紹介したことのある甲突池である。
甲突川の名前の由来はここにある。
場所は入来峠の頂上付近。
後ろには八重山を控える。
近くには棚田もあり、見晴らしがいい。
鹿児島市の宿泊施設もあり、バンガローにも泊まれる。
ここで合宿をやったら楽しいだろうなあ。
吹上町上和田にあるこの奇岩は、夜明かし岩とも呼ばれる夫婦岩だ。。
旅人が月夜にここで野宿した。
あまりによくできた岩なので、なぜできたかで話が弾み、夜を明かした。
まあそれだけの、たいしたことではない名前の岩である。
しかし、形は素晴らしい。
この二人の表情はどうだ!
近くに助代温泉もあることだし、観光資源になるのになあ。
もったいない。
屋久島にはまだ行ったことがないので、樹齢数千年の木は見ていない。
だが樹齢千年の木なら、すぐ近くにある。
その木があるのは、坊津町秋目。
昔、まだ人口が多かった頃、秋目小学校があった。
その学校への階段の途中で児童を見守っていたのだ。
大きな木には魂が宿っているという。
信じる信じないは自由であるが、敬虔(けいけん)な気持ちに、私はなる。
人生は「たかが百年」である。
だからこそ頑張って「されど百年」にしたいものだ。
蔵多山である。
鹿児島の全放送局の電波搭がここにある。
南薩摩の放送は、ここから送られる。
昔は木が生い茂っていなかったので、素晴らしい景色が見られた。
片隅に設けられたコンクリート製のテーブルが、なんとも寂しい。
ここからは枕崎・金峰山・野間岳・開聞岳・加世田・知覧・川辺・・
といろいろな場所が見られる。
忘れていた。目の前には長屋山だ。
西ノ谷は、田上の北にある。
川で言えば、新川の上流だ。
ここにものすごく大きなダムが建設中である。
8・6水害では、新川も氾濫した。
そこで新川は底を深くした。
上流にはこのダムである。
以前のような豪雨が来ても、もう安心だ。
鹿児島市は素晴らしい仕事をしている。
多分、ほとんどの方はここをご存じないであろう。
永吉町の奥に、戦没者の慰霊碑がある。
その戦争は、ひとつではない。
大東亜戦争、満州事変、支那事変、日露戦争・・
その戦没者が祀ってある。
我々のいまの平和は、先人の尊い命の犠牲の上に成り立っている。
誰もがわかっていて、誰もが忘れている。
「あひこそこ」を再開するに当たり、ここから始めたい。
幸せはスルメのように、じっくりとかみしめたい。
このコーナーは、野暮用の為しばらくお休みの状態であるが、
とても気に入って頂いている方もあり、嬉しい限りである。
もともとお茶濁しの企画だったので、意外であった。
さて今回は特別に1回だけ、掲載する。またしばらくは野暮用が済むまでお休み。
種子島からロケットが打ち上げられた。
赤い炎まで見えて、感動の瞬間だった。
今回打ち上げられたのは、軍事衛星である。
地上の数十センチのものまで見分けられる。
映画「天才アカデミー」は、もう現実のものになっている。
沈む夕日がこよなく好きなのは、もうよく分かって頂いているだろう。
亀ヶ丘である。
東屋のある崖から600mほど離れた別の崖に、陣取った。
海に沈む夕日とカップルを狙った一枚である。
絵になる画像を撮ろうと思って。
半分海に浸かった夕日は、ジュワッと音を立てた。
あまり綺麗な画像を持っていない。
頴娃町の大野岳である。
車で頂上まで行けるし、何よりも景色もいい。
マラソン大会には出たことはないが・・。
標高は465m。
島をふたつ続ける。
野間池の北に位置するこの島は、米島。
ここも行ってみたい。
島は、いい。
身近にあるのにまだ行ったことがない。
沖秋目島(枇榔島)は、黒瀬の沖、もしくは秋目の沖にある。
なかなか機会がないが、来年こそは。
島は、いい。
宮崎県小林市。
惚れ惚れするほどの、立派な陰陽石である。
45年以上前、ここは観光客で賑わっていた。
食堂は長蛇の列。
鯉料理が記憶の片隅にある。
今は寂れて、訪れる人はまばらである。
でもやり方次第では、全国からギャルを呼び寄せられる。
立て!立つんだ、小林市。
枕崎にも金山がある。
その山の麓に、金山入口というバス停がある。
そこを流れる花渡川に、面白い岩が広がっている。
広角レンズでないと全体を撮れないので、その面白さを伝えることができないが、
丸く穴が開いた岩など、見ていて飽きないものがいっぱいある。
そういえば枕崎にはもう一箇所、岩戸金山という場所もある。
大浦町と加世田市津貫の間にそびえる磯間嶽に、ほほえましい岩がある。
人形岩と呼ばれるこの岩は、とてももろい。
礫と呼ばれる小さな石が、砂や泥と固まって、礫岩になる。
何百年後かには、この岩も違う形になっているのだろう。
遠くかすかに見えるのは、長屋山。
12月の桜島一周練習会は、何年もの歴史がある。
この時が最後になってしまったが、とても楽しい練習会だった。
私は前日夜に桜島に渡る。
夜は中腹で車中泊。
夜景がこのうえなく素晴らしい。
簡易コンロで作るキムチラーメンが旨い。
温かい焼酎が、幸せを運ぶ。
あ、この写真は南岳を南から見たところ。
坊津歴史資料館近くで撮った夕景。
淡いピンクに染まるこの景色も、大好きである。
夕焼け小焼けでまたあした。
日曜日は、月曜日からの活力の為にある。
どらよ、きばらんなら。
万之瀬川から長屋山を見た風景である。
万之瀬川をカヌーで下ったことがあるが、加世田市の川に注ぐ汚水の量に、びっくりした。
長屋山は見晴らしのいい場所である。
練習会でバイクのヒルクライムをやったことがあるが、心臓が飛び出るくらいに激しい坂がある。
私の家の裏山である長屋山は、私を強くしてくれた素晴らしい場所でもある。
むかしむかし、鹿児島交通は枕崎から伊集院まで鉄道を運営していた。
今は石の橋脚だけが、その名残をとどめている。
吹上30kmマラソンのコースから、この景色を見ることができる。
各地に「立神」はある。
これは野間池の立神。
立派な岩である。
これに限らず、絵になる岩や風景が多い土地である。
「坊野間ユッタリング」というバイク練習会の昼食も、この地にした。
居心地が良すぎて、みんな、なかなか腰を上げようとしなかった。
大隅半島から見ても、開聞岳の容姿は素晴らしい。
天候が良くなかったのが残念である。
滅多に行くことのない大隅半島。
また、山川・根占の大型フェリーが運航を始めた。
行くなら真っ青な空を入れて撮りたい。
昔、一本の松が生えている小さな島があった。
潮が満ちると、家一軒分くらいの広さしかなくなる。
大浦干拓の北側にその島はある。
名は松島。
地元の人は「まっちま」と呼ぶ。
一度その松は枯れたが、地元の有志がまた新しい松を植えた。
今年こそこの島で一晩過ごそうと思っていたのだが、機を逸した。
来年こそ美しい星空を、ビール片手に楽しもう。
大浦町越路の恵比寿様である。
漁師は必ず、恵比寿様に航海の安全と大漁を祈願する。
港に行けば、必ずどこかに恵比寿様が祀ってある。
漁師は焼酎を飲む時、こう言う。
「えべっさん!」
泊湾沖の草島。
昔、この近くに坊津町営のプールなどがあったが、長くは続かなかった。
現在は自衛隊の通信基地がある。
吉野から見ると、桜島北岳は山頂がふたつに分かれていることに気づく。
左が1118m(もしくは1117m)の高さ。
右側はそれより少し低い。
それがこの岩だ。
市内から見ると、垂直な崖に見える。
桜島フェリーの航跡がわかる。
笠沙恵比寿が、真ん中に鎮座している。
野間池の俯瞰画像は、見ていて飽きない。
岬、灯台、風車、漁船、島・・
おむすびを食べながら見るこの景色は、最高である。
ジンベエザメがこの海を泳いでいる。
ここは笠沙町片浦。
鹿児島市の水族館に、ここで網に入ったジンベエザメがよく送られる。
ただし、今回のユウユウは開聞岳沖の定置網に入ったもので、ここのものではない。
私がこれまでに目にしたものは、リュウグウノツカイ・インドガメ・マンボウ・オオウナギなど、数知れない。
そうそう、私がダイオウイカのペアを素手で捕まえたのも、この海だ。
大口には、小さい頃きっと行ったことがあるはずだが、記憶にはない。
その後、曽木の滝を訪れたのは、40代になってからである。
思っていたよりも小さな滝だった。
発電所跡にも行ってみたが、水が多くて見つからなかった。
細い道を鶴田ダムまで走ってみた。
飛び込みたくなるほどの高さだった。
言わずと知れた、亀ヶ丘である。
練習で走り、写真撮影に行き、岩壁を登り、年末の夕日を拝み、隠れ念仏を探す。
景色は最高。
私の一番のお気に入りの場所である。
甑島、紫尾山、霧島、桜島、開聞岳、金峰山、吹上浜、黒島・・・
なんちゅわならんですがよ。
亀割峠という名は、テレビの駅伝番組で知った。
江夏という選手が、やたらと登り坂に強いという。
車で初めて通った時には感動した。
これが亀割峠か!
坂の途中に上之段という場所がある。
そこから見た景色がこれだ。
吹上町ヤマンカン。
面白い岩が連なっている。
ここでは川遊びができる。
青と緑が、たまらなくいい。
高崎山とかいて、「こうざきやま」と読む。
猿もいるこの地域の海岸は、明媚である。
この岩も然り。
この岬を境に、「えばざこ」の形が異なるのは面白い。
西では紡錘型、東では扁平している。
海からこの地を見ることは、滅多にない。
夏の終わりの、情緒不安定な空だ。
ひと目見てこの山を当てられる人は、そういないだろう。
金峰山である。
この貯水池は金峰ダム。
いつも通る道の対岸から撮ったものだ。
地図を見てみると、吹上に永吉ダム。
松元に松元ダムと、連なっている。
どのダムも、のんびりするにはいいところだ。
東シナ海に面したこの街は、坊津町久志(くし)。
歴史のある土地である。
山の中腹には「穴ん婆さん」の住んでいた岩がある。
京都からお寺の娘さんが霊元天皇の皇子の霊を慰めようと観音像を持って全国を回っていたが、
薩摩は真宗禁制でこの地の岩穴に隠れて過ごし、ここで没してしまったという。
坊津は歴史の好きな人にはお勧めの場所である。
この角度からの画像は、インターネットでも見られないだろう。
旧山川町にそびえ立つ、竹山である。
標高は202m。
地元のおじさんは登れるよと言ったが、私は登れないよと言っておこう。
頂上には見たことのない古い蘇鉄が生えている。
ぞくぞくする山である。お尻が。
神ノ島という名前には、きっと由来があるのだろう。
祠があると聞いたこともある。
ぜひ一度いってみたい。
それが奥に見える島だ。
手前は立羽島。
見る角度では、羽を立てたように見える。
霧島川は、霧島町から隼人町へ流れる。
現在はその川沿いに綺麗な道ができているが、しばらくはこの写真のあたりまでしかできていなかった。
何年も工事が止まっていたのだ。
交通量が少なく、好んで通った。
上流には小さな水力発電所もある。
とてものどかな、大好きな風景である。
旧薩摩町の沈下橋である。
今はこの橋はない。
北薩水害で流され、新しい橋が掛けられた。
この場所が大好きで、何度も訪れては写真を撮った。
別に何ということもない風景なのだが。
白黒写真ではない。
れっきとしたカラーである。
場所は野間岬。季節は冬。
雲が光をさえぎると、一瞬にして色が消える。
そしてまた陽が射すと、海は青さを取り戻す。
写真を撮るということは、光を操るということである。
偶然と必然が、交差する。
かすんでいて残念だが、吹上浜である。
第1回、第2回の吹上フルマラソンは、海浜公園発着で行なわれた。
この写真1枚の中に、コースがすべて納まる。
澄んだ日に、綺麗な写真を撮りたい。
笠沙町小浦に松島という小さな島がある。
ここから野間岳を見ると、左のような風景が見える。
その野間岳に登って松島を見たのが下の写真。
どちらも大好きな景色だ。
たまにはこういう比較も面白い。
山川港から今は無き大きなフェリーで、大隅半島へ渡った。
種子島や馬毛島もかすかに見えた。
開聞岳も端麗な姿で浮かんでいた。
佐多岬は素晴らしい場所である。
でも入場料を払わないと入れない。
私有地なのだ。
そんなん有り?
おい、ただで見せろ!
北薩水害の後は、風景が一変した。
川内川もしかり。
ここは菱刈町のダム。
いつもならサラサラと流れる場所だが、右岸にはものすごい量の土砂が堆積していた。
遠くに韓国岳が見える。
運よく登ることができた桜島北岳。
これ以後、思考に変化が生じた。
しかし怖い目に遭ったなあ。
とりあえずまだ生かされていることに、感謝する毎日である。
今年登る予定だった新燃岳。
もう二度と見られないのが、ここの火口跡のくぼみに溜った水のきれいな緑色である。
噴火があと1年遅ければなあ。
でも逆もある。
桜島は昨年、記録的な噴火回数だった。
私が北岳に登ったのはその前年。
1年違えば、登れないところだった。
秋目は鑑真が上陸した土地である。
沖に浮かぶのは枇榔島(びろうじま)。
沖秋目島ともいう。
ここで昔々、40年以上昔、007の映画のロケがあった。
夕日の美しい場所である。
休日の夕暮れには、アベックが、もとい、カップルがよく訪れる。
野間岬は美しさと悲しみの土地である。
ルース台風という名前を知っている人は、どんどん少なくなっていく。
大きな波が一瞬で街をのみこみ、多くの命を奪っていった。
夕日が丘に碑が建てられている。
いろいろな土地で、人々は悲しみを乗り越え、生きている。
枕崎の立神。
枕崎を象徴する岩である。
この岩にはとても神々(こうごう)しいものを感じる。
右奥に見えるのは硫黄島。
高いものを見ると登りたくなる私も、この岩だけにはそれを感じない。
枕崎という街をこの岩が見守っているような気がする。
野間岳である。
小さい頃、小用を足す時小窓を開けると、この山が見えた。
いちばんの愛着がある。
GOOGLEで「野間岳」と入力すると、私のページが一番に出てくるのには驚く。
最初に書いたほうのページだ。
「おむすびを持って」の野間岳のほうを、できれば見て欲しいのだが。
書きたいことがありすぎるので、このスペースには書けない。
金峰山を西側から見たところだ。
金峰町は超早場米の産地である。
名前は「金峰コシヒカリ」。
吉野や武岡からも、そう、伊集院からもこの山は見える。
絵になる山である。
三つの峰を持つ山は、そう多くはない。
今は亡き幼馴染のT君は、この山の名を私のあだ名に命名してくれた。
開聞岳を撮るのにこのポイントは欠かせない。
とても見慣れた景色ではあるが、なぜか撮りたくなる。
昨年の梅雨明けのその日に撮ったもの。
だからまだ雲が、頂上から離れきっていない。
開聞岳はとても形が綺麗である。
どこから見ても、非の打ちどころがない。
この秋の登山開始はここから始めよう。
頂上に着いてから、あちこち足を伸ばしてみたい。
霧島は魅惑の山である。
この画像は「今週の風景」の一番初めに使ったものである。
今年のいちばんの目標だった「新燃岳」登山は、露と消えてしまったが・・
きっといつか、霧島の素晴らしい景色をカメラに収めたいと思う。
楽しみは先にとっておこうかな。
坊津の泊地区から見た夕日。
坊津には、「坊」と「泊」の地区がある。
どっちが坊でどっちが泊か、未だに忘れてしまう。
そんなことはどうでもいいのだ。
ここの夕日は素晴らしい。
東シナ海に輝きながら沈んでゆく。
夕日は心がキュンとなる。
それがたまらなく好きだ。
人は一人で死んでゆく。