ア ン コ ー ル 遺 跡 紀 行


 アンコール遺跡旅日記(その2)

 次に樹木が絡んだ「タプロム」に向かった。
タプロムに入る前には,売店のたくさん並んだ休憩広場がある。トイレタイムで立ち寄ると,子供たちが群がってきた。手に手に民芸品や遺跡の写真集を持っており,1ドルで2個,3個と片言日本語で言っている。
何人もいるのに1人から買う訳にもいかず,要らないと手振りで示すが,なかなか立ち去ってくれない。
 中に,何も持っておらず,手だけ差し延べている小さい子がうちのカミさんに付きまとって離れず,トイレの入り口までついてきたので,持参したキャンデーをいくつか握らせ勘弁してもらったが,ドルでないのが不満そうだった。
 
熱帯樹がのしかかったタプロム遺跡
 タプロムは,密林に眠っていた遺跡である。         
 広場から両側に潅木の茂った中を行くと,途中道路脇に民族楽器をもった5,6人の一団がいた。歌を歌って稼いでいるらしい。カンボジアの民謡を聞いてみたかったが,ショータイム(?)が今終わったばかりで聞けなかった。
 しばらく行くと,見えてきた。大木の太い根が建造物に絡まっている。
まさしくジャングルの中の遺跡である。アンコール遺跡が長い間,世に知られず密林の中に埋もれていたとあるが,タプロムを見るとそれが理解できる。
 案内書によると,タブロムを建造したのはアンコール王朝の王ではなく,高官の一人が母親の供養のために建造した寺院であるとのこと,そのため,トムの城内ではなく離れたところにあるため,密林化も早かったのかもしれない。
また,壁面の彫刻は女性のための寺院を象徴して,いたるところにデヴァターという穏やかな面影の女神像が浮き彫りに描かれている。
 本殿の周辺は柱が崩壊したところもあり,その石柱や部屋の壁面,天井には規則正しく無数の小さな穴が並んでいたが,その穴は宝石が埋め込まれていた跡だという。盗賊か敵方に抉り取られ,今は一粒も残っていそうにない。
熱帯樹がのしかかったタプロム遺跡
 寺院の外壁の数カ所に,奄美大島で見られるガジュマルのような熱帯樹がのしかかり,見るものを圧倒する。
クメール人がここを離れてからの長い年月を物語っている。
 ほとんどのアンコール遺跡は修復が進みつつあるが,ここタプロムは,自然に任せてこのまま残されるらしい。
 ガイドの話によると,アンコール王朝はチャバ軍という今のヴェトナムの南部にあった国に滅ぼされたが,チャバもその後滅亡して今はないという。互いに国境を接する大陸では常に存亡を賭けた戦いと策略とひとときの平和が歴史を造って今日があり,その厳然とした事実をアンコール遺跡は示している。
 
 午前の見学は,ここで終わり。昼食をとりに一旦ホテルへ戻り,午後は3時に出直すこととなった。カンボジアの夏は4月で今は過ぎていると言っても常夏の国,歩き回って汗びっしょりになった。
 ホテルへの帰り,町中で車を降ろしてもらい,カメラ片手に歩いて帰ることにした。唯一の信号機のある交差点の近くの道路沿いに,いくつか屋台風の出店があり,ペットボトルにガソリンを詰めて売っている。市民の足バイク用である。道を歩いていると,軒先から何やら声を掛けられる,どうやら「何処まで行くんだ,バイクに乗らないか」というバイタクの客引きらしかった。

 1軒 InterNet と書かれた看板が目に入った。探していたネット屋さんだ。中に入ると,5台ほどデスクトップ型のPCが並び,先客が一人画面に向かっている。店員にセットしてもらって,早速,自分のウェブ・メールを開いて見るが着信はなし,あっても英語仕様になっているので表示されなかったであろう。送信機能を使って留守の娘の携帯に「無事着いて,アンコール見学中」のメールをいれる。日本語は使えないのでローマ字。使用料は1時間2ドル,メールだけだったので1ドルからリエルのお釣が来た。
 
 ホテルで食事をとって着替え,出発までウトウト昼寝をして,3時きっかりにB君が迎えに来た。
 再び入場券売り場でチェックを受け,午後のコースは最も有名なアンコールワットから。朝,素通りしたアンコールワットに至る正面参道の入り口に立つ。ここでは珍しく入場パスのチェックがあった。
壕を渡り,さらにその奥に寺院がある
 環濠(日本の城の濠に同じ)を渡る参道は橋ではなく盛土の道路,すでに多くの観光客が参道を行き来している。3〜400m向こうに塔門のある外壁がある。
はじめ,環濠越しに見たこの外壁が,日本で良く見るアンコールワットの写真の位置かと思ったが,それは違った。外壁は広々としたアンコールワットを囲む外側の塀(塀といっても城壁のような造り)にすぎず,アンコールワット寺院は,この外壁のさらに3〜400m先にあり,寺院の手前に近づいて初めて写真で見る風景(池の向こうに尖塔がそびえるアンコールワット)を見ることが出来る。
 
 環濠を渡る参道をゆっくり歩いて外壁に至ると,アンコールワット入り口の塔門があり,塔門の入り口には7つの頭を持つ蛇神が門を守っている。塔門をくぐると土を盛った一段高い参道が来た道と同じくらいの距離伸びており,その先にワットはあった。
 高い尖塔がいくつもそびえている。これぞ,噂のアンコールワット。
 近づくにつれ,尖塔の高さは高くなった。参道の両側に池があり,正しくカレンダーで見た景色が眼前にある。
池越しにオリジナルの写真撮影を試みる。しかし,この日,空は曇り,風があって池はさざなみ状態と条件が悪く,池面に映るワット寺院の姿は捉えられなかった。
 
ワット寺院は外側から,第一回廊,第二回廊,第三回廊,中央塔で構成されており,順次高くなり,中央塔の高さは65m,それぞれの回廊は東西南北に辺のある四角形である。
 はじめに通る第一回廊が素晴らしい。この回廊を一周する総延長560mに延々と彫刻が施されている。描かれている絵は,インドの叙事詩ラーマーヤナ,マハーバーラタをはじめ,ヒンズー教による天地創造の乳界攪拌の図,天国と地獄・・・など。正にレリーフの宝庫である。写真を何枚撮っても追いつかない膨大な量である。
 ただ,これらの絵は説明をしてもらわなければ素人には何を現わしているのかわからない。全てを丁寧に見て歩くと,ゆうに半日はかかりそう。
 第一回廊を半周して,中庭を横切り,私たちはその内側の第二回廊の階段を登った。
 第一回廊と第二回廊の間には十字回廊という所があり,ここには,1632年(江戸幕府の初期の頃?)ここを訪れた森本右近太夫という日本人が墨で書いたという「落書き?」が残されているということを後で知った。
 
 ここで一休みして,第三回廊の階段へ。第三回廊の階段は,ネットでも話に出ていたように石段の幅は狭く,傾斜が急である。高さも高い(13m)。真ん中は石段が擦り減っており,左右の端を四つんばいになって用心して登る。カミさんが恐がるかとおもったが,案外平気に上りホッとする。
 登り切ると,そこはアンコールワットの最上階である。その上は四隅の尖塔と中央塔があるのみ,四方のジャングル,といっても平坦地の樹海,をはるかに見渡す事が出来る。涼しい風が心地よい。地上から60mほどで,足元を見ると相当に高く,視界に入るアンコールワット全貌は相当に広い。
 
第三回廊はこれだけの高さ
 しばらく風景を楽しんで,さて,下りである。第三回廊への階段は東西南北4ヵ所にあるが,1ヵ所だけ南の階段の右端に手すりがつけてある。恐らく観光客のために近年取り付けられたものであろう。手すりと言っても鉄のパイプが付けてあるだけ,下りはみんなそこを降りるので,観光客が順番待ちで並んでいた。
下を見ると,たくさんの観光客のギャラリーが,へっぴり腰で降りてくる人たちを見上げている。ゆったり観光なのか,第三回廊の石段に腰掛けて見上げている人たちは欧米系の白人が多かった。
 来たときの参道を引き返して,環濠の外に出た。
 
 次に向かったのはアンコール・トムの近くにある,この地方で唯一の山,バケン山。山といっても標高65mほどの,日本では山の内に入らないちょっとした丘である。
この近辺では,このバケン山とシムリアップ湖の近くに同じぐらいの山があるのみ。登り口の広場にはバイタクが何十台も集まっており,サンセット目当ての観光客が三々五々集まってきている。
 その広場を過ぎたところには,飾付けをつけた象が数頭,観光客を待っていた。
60mの頂上まで1人上り30ドル,下り20ドルで運んでくれるそうだ。
頭の後ろ,首の当たりに象使いが乗り,背中にお客さん用の大きな駕籠を背負っている。3,4人は乗れそうな大きなカゴである。
 その横を通り過ぎると,すぐに坂道になる。
かなり急な坂道,暑い最中,ゆっくり頂上を目指す。上り切るのに10分かかっただろうか,頂上は平坦な広場になっており,向こうの端に遺跡らしき構造物がある。人々はその構造物の上を目指している。広場の端に辿り着いたとたん,汗がどっと吹き出してきた。ガイドさんと3人で氷水で冷やした缶ジュースを飲んで喉を潤す。物売りが行く手を遮ってくる。

 礼拝所らしい建物(構造物)の上に来て驚いた! サンセットにはまだ2時間もあるというのに,既に観光客で満員であった。西側の樹海の彼方は雲に覆われ,この時間でも太陽は顔を見せていない。
ヨーロッパ系,ラテン系,アジア系,日本人といろいろな人種が,カメラをセットしたり,暇つぶしに本を読んだり,思い思いに陽が沈むのを待っている。
 山頂から四周を見渡して,一休みしてから,ちょっとサンセットは拝めそうに無かったので,早めに降りることにした。下ろうとすると丁度,帰りの象さんが空車?で降りるところだった。
 土産話に,乗ってみようと,カミさんと2人乗ることにした。
象さんの通る道は,観光客が歩く道とは別の細い道である。象さんの背中に揺られて下り坂をゆらりゆらり,途中,登ってくる象さんと行き交うときは,横道に一旦停車してやり過ごす。象使いは細い鞭のような棒と,ピッケルのような道具を持っていた。
 途中から,ドライバーの象使いが,片言英語と片言日本語にクメール語を混ぜて盛んに話し掛けてくるが,どうもよく意味が分からない。どうやら,餌代か何かに20ドルどうだという感じだった。しきりに「OK?OK?」と同意を求めてくるので,「NO,分からない」と言っている間に,下に着いて,話はまとまらなかった。象は,総勢10余頭いた。考えてみれば象の生息地である。
 
 バケン山を早く降りて時間が余ってしまったので,B君は,シムリアップの町に戻り,我々をお土産店に案内した。
 店に入ると,客はなくガランとしており,「カモだ!」とばかりに店員が4,5人駆け寄ってきた。アンコール土産に小物でもと考えていたので,店内を物色,日本語の分かる若い女店員が付きまとって離れない。カミさんが娘たちに宝石の小物を見に行くと,店員も離すものかと二手に分かれ,ぴったり付き添って,これがよい,あれがよいと薦めてくる。何度も交渉して値札よりかなり安くしてもらったが,支払う段になると,向こうはニコニコだった。それでも物価高日本に比べると,格安である。
 
 この日夕食は,民族芸能を鑑賞しながらのバイキング料理,テレビで見るタイの民族舞踊に似た動きの舞踊で,猿や魚に扮した踊りなどユーモラスな舞踊もある。
9時過ぎにはホテルに戻って,シャワーで汗を流した。
朝から歩き回り,さすがに疲れた。
明朝は,サンライズを見るため,4時起床,5時出発の予定。(今日の歩数 18,721)

その3につづく

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