2002年8月初旬,カミさんと2人,カンボジアのアンコール
遺跡を駆け足で訪ねた。以下はその旅日記。(その1)
アンコール遺跡とは,アンコールワットだけかと思っていたら,大きな間違いだった。
タイも含めたインドネシア半島の広い範囲にわたって,当時のクメールの文化の跡が多数あることをネットで知った。
また,規模の大きい建造物というだけではなく,建造物にはいずれも素晴らしい彫刻が豊富に施されているらしい。
これは,何としてでも行ってみる価値があると確信した。
[出発]
8月4日,出発は,12:00福岡空港発バンコック行きのJAL便。
福岡鹿児島間の往復はJR利用。このため早朝5時15分に我が家を出発。
福岡空港国際線ラウンジについたのが,10:35,トラベルエージェントの係りの人から航空チケット綴りを受け取り,出国や乗り換え,現地での対応の説明を受け,JALカウンターに向かう。日数も少なく移動を考えて荷物は機内持ち込みできる小型のケース1個ずつにしたが,満席のため荷物は預けて下さいと言われ,案内書など必要なものを手持ちバッグに移し,やむなく目的地まで預けることにする。
出国審査は,以前に比べて簡略化されていた。出国審査票は廃止されており,パスポートを見せるだけ。パスポートにバーコードはついていないけどスーパーのレジ式?になったのだろうか?
しばらくして機内に案内され,予定時刻にはテイクオフした。
機内は本当に満席で,空き席はほとんどなく私とカミさんは離れ離れの席を当てがわれた次第。外国人なら怒るかも。
タイ人らしい男性パンサー数人とタイの民族衣装のスチュワーデスが日本人スチュワーデスに混じって,忙しく乗客の面倒を見ている。
飛び立ってまもなく,飲み物のサービス,しばらくして昼食になった。
機は,福岡を飛び立って種子島上空,台湾上空からインドシナ半島へ向かうのであるが,この日インドシナ半島には台風が接近しているらしく,大きくマニラ上空へ迂回,予定時間を50分ほどオーバーした。
バンコックでシムリアップ行きに乗り換えることになっているが,待ち時間は約2時間半,1時間程度の遅れであれば間に合う。
乗換えでは苦い経験がある。数年前ミラノから日本へ帰国するとき,パリ発の乗換え便に間に合わずパリに1泊することになったが,もう用はないと思っていたので着替えから洗面具まで全てスーツケースに入れて預けたため,着の身着のままで宿泊することになった。薄い半袖シャツ1枚だったが,雨も降り寒かった。
こういうこともあるので,今回は,常時手元に置けるように小型のケースにしたのだったが,預けさせられた。バンコックでの荷物のトランジットは大丈夫か!
乗換えは,ほぼ順調にいった。カンボジア出入国カードはバンコック空港待合室に準備されており,時間待ちの間に周りの日本人に聞き,書くことができた。
バンコックからシムリアップへは,バンコックエアウェイの双発プロペラ機,約1時間の飛行時間。乗客の半分は日本人。
離陸してすぐに飲み物付きの夕食が出た。6.4%やや辛めのビールが美味い。
21:10(現地19:10)シムリアップに着陸。既に辺りは夜に入っている。
福岡空港で説明を受けたとおり,プラカードに名前を書いて,ガイドの青年が出迎えてくれた。彼の案内でホテルへ。
なお,シムリアップの空港では,カンボジア入国ビザの発行も行っている。
[2日目]
08:00 打ち合わせた時間にガイドさんが来た。
ガイドは23歳のカンボジア青年,名前はB君,ホテルのフロントにいたが,日本語の観光案内の資格を取り,ガイドに転じたという。運転手は30代中ごろのJさん。車はトヨタの左ハンドル乗用車。
というところで,早速出発。
ホテルは,シムリアップの町の中心部に近いところにあった。バイクの行き交う町の中心部を通り抜けて,郊外へ向かった。アンコール遺跡は町から約9キロ北の方にある。
街を出て4キロほどのところで,高速道路料金所のような建物をくぐり停車,遺跡入場券売り場である。入場税と言った方が妥当かもしれない。1日券20ドル,3日券40ドル,1週間券60ドル,顔写真を貼った定期券のような通行パスである。
このパスはアンコールワットの入り口など2,3ヵ所で提示を求められた。
顔写真が必要と聞いていたので準備していたが,持っていない人はタダで写してくれるとか。
料金所からしばらくすると,正面に池が現われた。明らかに四角な人口の池である。アンコールワットの環濠であった。池幅は広く1辺が長い,環濠に沿って左側を行くと濠を渡る橋(西参道)と,その先に尖塔のある塔門とアンコールワットの外壁が見えてきた。まさしく写真で見た景観である。規模の壮大さにまず驚く。
朝の早い観光客が三々五々,参道を渡っている。
ワットを横目に,さらに車は奥へ走る。道路の両脇にはゴムの大木が立ち並び,潅木が茂っている。小型なのかコザルなのか野生の小さいサルが道端で遊んでいた。
ガイドのB君の今日の計画は,午前中アンコールトムとその周辺を回り,昼食にホテルへ帰り,午後アンコールワット,夕方はバケン山に登ってサンセットを見るというものだった。見所が多い中,ここだけはとテェックしてきたところは入っていたので,あとはB君にお任せする。
アンコール・トムの「トム」とは,大きな都市という意味らしい。(ちなみにワットは寺院の意味)
全体は一辺3Kmの四方形で,周囲を城壁で囲まれた城塞都市である。都市全体が遺跡だ。城壁には東西南北5つの入城門があり,この門をくぐらなければ都市の中に入れない。私たちは,頭上に東西南北を見渡す大きな四面像のある南大門から中に入った。
外から門へ通ずる通路の両脇には石像が綱を抱えて欄干をなしている。
これは右側は阿修羅,左側は神々が大蛇を引いており,ヒンズーの世界創出の神話「乳界攪拌」を現しているという。その後,この「乳界攪拌」の図は遺跡のあちこちで見ることになった。
南大門をくぐると車が待っており,歩くにはかなり距離を,トムの中央に位置するバイヨン寺院の東正面に移動。
「バイヨン」が初めて真近に見るアンコール遺跡となった。足元は石畳みとなっており,良く見ると,どの石にも小さな穴が2箇所ずつついている。これは,象に運搬させる時につくキズだそうだ。
それにしても目前の寺院全体が巨石を積み上げて建造されており,全体的に風化した砂の色をしている。寺院だけではない城壁も城門も参道も全ての建造物が石作りだ。聞くと,この巨石はアンコールの北約50キロにある山から切り出して来たものらしい,象の力があって出来る仕事か?
バイヨン寺院は,外側から中に向かって第一回廊,第二回廊,第三回廊,本殿と4層になっており,中央に行くにしたがって高層になる。
第一回廊の壁面を一周してクメール軍の進撃の様子やインド神話が丁寧に浮き彫りにされている。
上にいくと,四面像がいくつも中央部を囲むように立っていた。いずれも,世界に慈悲をといった穏やか表情である。
朱色の法衣を着た少年僧が一人,何するでもなく本殿の入り口に佇んでいた。
外側から本殿へ徐々に登ってきたが,本殿の下の部分は石積みで入れないのか,部屋があるのか分からなかった。
上から見渡すと,周囲は木が生い茂り,都市を囲む外壁は全く見えない。
バイヨン寺院の北門を出たところで,休憩所があり,飲物や写真集,Tシャツを並べた売店が立ち並んでいる。
暑いところを歩き回ったので一休みする。
ガイドのB君に何が良いか聞いたら,ヤシの実ジュースで良いという,見るとバレーボールほどのヤシの実が10数個積み上げてあり,近くで子ども2人が1個のヤシの実にストローを2個突っ込んで飲んでいる。どんな味がするのか,B君と1個ずつ頼んで飲んた。氷水で冷やしてあり,薄い砂糖水といった感じで結構美味く,のどの渇きもとれた。ただ量は多い,1個で4,5人分はありそう。
次にB君が案内してくれたのは,同じトムの城内にある「パプーオン」バイヨンは,灰色がかった砂の色をしていたが,ここパプーオンは全体的に赤茶っぽい色をしている。これがラテライトという赤岩であろう。建造当時はバイヨンより高さがあったらしいが,上部が長い年月で完全に崩壊してしまったとのこと。それでも池越しにみる本殿はかなり高く見えた。特長はパプーオン正面の参道が空中参道と言われているように1.5mほど高くしてあること。
次に,男池女池を配した王宮跡,王が兵や象軍団を閲兵した象のテラス,ライ王のテラス,閲兵広場を見てまわった。
そしてアンコールトムの城外へ出て,次は周辺の遺跡へ。
天上の宮殿と呼ばれる「ヒミャナカス」をみて,次に「タケウ」を見た。
タケウは,どういう事情があったのか,他の遺跡と異なるところはないが,建築途中で放置されており,完成に近い建造物には一切彫刻は施されていない。
こんな壮大な寺院をここまで建造するには,膨大な日数,人手,経費が掛かったはず,それを放棄してしまった理由は何なのか,今となっては分からないが,建築途中で放置されたことにより当時の建築技術の解明に役立っているそうだ。
その2に
つづく
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