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帰国前日の午後,またも Mr.Mの厄介になって,これも夢のマッターホルンへ。マクドナルド風のセルフサービス店で昼食をとり,ミラノ市内の遊歩からホテルへ戻ると, M氏がすでに迎えに来ていた。13:30 M氏のボルボでミラノを出発,すぐハイウエイにのり,一路北のスイスとの国境を目指す。スピードメーターは 150Km/h,あまりスピード感はない,その横を大型バイクがビューンと抜いていく。 道はどこまでも真っ直ぐである。ハイウエイの両側は,稲穂が黄金色にどこまでも拡がっている。この辺りも米を作っている。 田圃という感じではなく畑である。1時間ほど走ったところで,これまでの平坦地から,なだらかな起伏が混じり前方に森が見え始めた。 初めてのトンネルをくぐると,今度はトウモロコシ畑が多くなった。遠くに高い山が見える。更に30分走ったところでハイウエイを降り,車は両側が山になった谷間の道路を走る, 山の斜面にはブドウ畑が拡がっている。見上げる山は,かなり標高はありそう,山腹辺りから上は岩肌になっており,木は生えていない。 そうした山が幾重にも連なっている。そして,道路は上り坂道になった。つづら折りの坂道をしばらく走る。時折対向車とすれ違うが,交通量は少ない。上りにかかって約15分,M氏が「そろそろマッターホルンが見えるところがある」という。車を止めて「あれがそうだ」と指された先に,近くの山と山の間の谷間の向こうに, これまで両側にあった山とは全く違った「あっ,あれか」一見してそれとわかる, 銀色の神々しい鋭角の山頂が見えた。イタリアに来て,素晴らしい建築物や美術品を見てきたが,この遠くに見えるマッターホルンの山頂を 初めて見た瞬間もまた「おお,素晴らしい!!」と感嘆せずにおられない強烈なインパクトだった。夏のヨーロッパで白銀を抱いて天に聳える鋭角な山は想像していなかった。車は,さらに30分近く坂道を上り,ついにマッターホルン(標高4,475m)の麓まで来た。空気がひんやり冷たい。深い青い空をバックに,残雪と鉛色の岩肌を見せる急峻なマッターホルンが, 山頂付近に白い雲を漂わせ,天に聳えている。その右側には,これも白い雪に覆われたスキーに向きそうな,なだらかな丘とその後方に山々が連なっている。麓のここは,標高3,000メートルほどで,山荘風のホテルが立ち並び,土産品店,ドライブイン, ガソリンスタンドのある集落になっている。この辺りも映画の1シーンのような風景である。今は,シーズンオフだが,冬場はスキー客で賑わうらしい。ここから, リフトが右側後方の丘の上に伸びている。この日リフトからスキーを持った人が降りてきたところを見ると, 夏場でも上の方は滑れるのだろうか。我々もリフトに乗って,その村落から更に上を目指した。丘の上のリフト中継点で降り,目の前に聳えるマッターホルンを見上げる。毎年,滑落事故で数名の登山者が亡くなるらしいが,目の前で見ると,さもあらんと思える厳しさが見て取れる。残雪の雪解け水が小さな滝となって幾筋も山腹から流れ出している。この丘一帯は樹木はなく,短い夏場だけであろう芝生のような丈の短い草がわずかに緑を成している。冷気が肌に心地よい。しばらく大自然に浸った。ここにいるだけで心身が洗われる思いがする。思えば夢の中にいるようだった。陽は傾き夕方5時前になっていたが,M氏の提案で帰りはリフトに乗らず歩いて帰ることにした。途中,放牧の牛が首の鈴をジャラジャラ言わせて移動している横を通ったり,冷たい雪解け水で顔を洗ったり, 飲んだり,約1時間のアルプスのトレッキングを楽しんだ。ここには,また来たい……無理かな。来た道を,ハイウエイを 150〜170Km/h(一応制限速度は 130Km/hになっているらしいが)で飛ばし, ミラノへ引き返し,最後の夕食を準備した夫人が待つM氏宅に着いたのは,夜遅く22:30になっていた。イタリア最後の夜になったこの夜,M氏の奥さんが心づくしのイタリア料理を作って待っていた。 アボガドをくりぬいて中にサラダを詰めた前菜,柔らかく煮込んだ豚骨,海鮮リゾット,1993年のワイン, 歩き回ってお腹も空いており,非常に美味しかった。ありがとう奥さん!!M氏一家に大感謝。計画段階のアドバイスから最後の夜まで,ほとんど付きっきりで面倒を見てもらいM氏には本当にお世話になった。 次は鹿児島で焼酎を酌み交わす約束をして別れを告げた。M氏宅からホテルまで乗ったタクシーの若い運転手は,シシリーの出身でミラノに出稼ぎに来て,ミラノで嫁さんをもらい, 4歳の男の子と3歳の女の子がおり,年に数回シシリーに帰るけれど,奥さんがシシリーの方言がわからずひと苦労だと言っていた。 片言英語ながらイタリア人は人なつっこく,よく喋る。ホテルに帰り,明朝早い帰国の準備をして寝たのは 01:00。山歩きもしたので,この日は 22,269歩を示していた。